「霞が関」はなぜコロナに勝てないのか? ―日本の行政の問題点

岸本 周平

デルタ株による第5波の感染拡大が続いています。ワクチン未接種の現役世代の感染が中心ですから、ワクチン接種が先進国並みに進んでいれば防げた事態です。
国全体で緊急にワクチン接種が必要な場合、ワクチンの開発と認可のスピード、供給量と需要のバランス、配送やワクチンの打ち手確保など、高度なロジスティクスが要求されます。「平時モード」から「危機モード」に切り替えて全体のマネジメントをする能力が「霞が関」(中央官庁)にありませんでした。
司令塔不在の政治の側にも問題があります。担当大臣が複数いて「船頭多くして船山に上る」状態です。それにしても、実務を担う官僚は、政治家に対して、正確に問題点を伝えるべきです。現状は、政治家に言われるままに右往左往しているようにしか見えません。
ただ、あえて弁護するならば、これまで行政改革の名の下、効率優先主義で定員管理が行われ、危機対応のできる体制でないのも事実です。象徴的なのは、無駄だと言われて、多くの保健所が閉鎖されたことです。今後は、危機に備え、平時には一見ムダに見えるが実は必要な「一定のゆとり」を持つ行政機構に変えていくべきです。
一方、危機モードへの切り替えができず、科学的な判断もお粗末な理由として、法学部偏重の人事のあり方も考えられます。
リーガルマインドの本質は「比較衡量」です。良く言えば、健全な常識に基づいてバランスの取れた判断をすること。しかし、これは「足して2で割る」ことにつながります。科学的な政策判断が不得手な人たちが採用されているおそれがあります。
さらに、「縦割り」に基づく官僚の視野の狭さです。想像力の欠如と言い換えてもいいでしょう。米国留学時代に作家の大江健三郎氏と親しくさせてもらいました。大江先生が「日本の官僚は優秀ですが、致命的に想像力に欠けていますね」と言われたことを、今でも強烈に覚えています。
危機に対応して、科学的な判断のできる人材を幅広く採用するために、国家公務員試験制度の廃止も含めて見直すべきです。偏差値教育による弊害も指摘できます。社会に出れば、誰もが答えのない問いを突き付けられてそれを克服していくわけです。ペーパーテスト偏重の教育制度そのものから考え直す必要がありそうです。

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