自公連立体制23年目 故坂井弘一代議士の在りし日を偲ぶ

二階 俊博

先日、今夏の参議院選挙に向けて、自民党は公明党が候補者を擁立する5つの選挙区への「推薦」を決定いたしました。今後、両党は全国に32ある1人区選挙区を中心とした38選挙区について地方組織間で協議を進めることとなります。
自公連立体制が発足したのは、今から23年前にさかのぼります。当時、参議院で過半数割れに苦しんでいた小渕恵三総理が決断し、政策づくりから国会運営、選挙協力に至る連立体制が今日まで続いています。
特筆すべきは、2009年に下野した後の野党時代も常に信頼関係を保ちながら、ともに力を結集し政権奪還を果たしたことです。
私自身もこの連立体制を形成する過程に大きく携わり、その後も今日まで公明党や支持団体の皆さまと信頼関係を築いてまいりました。その中で思うのは、たとえ連立政権の合意文書に署名していたとしても、重要なのは日常の信頼関係と意思疎通である。それぞれ、異なる政党なわけですから、政策によっては主張が異なることもある。しかしながら、両党が国民生活を想い、国の大きな方向性を誤りなきようにする大局観に立ちながら、丁寧な意思疎通を図ってきたからこそ、この23年間があったものと痛感します。23年間というのは決して簡単な数字ではないのです。その陰で多くの先輩・同志の皆さまの弛まぬ努力があったのです。
私が自民党幹事長を務めさせていただいた5年間、特段大きな政治課題がなくても、必ず毎週欠かすことなく「二幹二国」と呼ばれる両党の幹事長・国対委員長会談を重ねてまいりました。何か大きな問題が起こってから協議を始めても間に合わないことがあるからです。異なる政党であっても、常に毎週、顔を合わせておけばおおよその気配は察することができます。ぜひ、次の世代を担う政治家の皆さまにもこのことは理解しておいてほしいと思います。
昨年11月22日、公明党で衆議院議員を8期務められた坂井弘一先生がお亡くなりになりました。お亡くなりになる約1年前に電話でじっくりお話をさせていただいたのが今となっては大切な思い出です。先生が初当選を勝ち取られるまでの厳しい道のりや、安倍晋太郎先生との交友、生まれ故郷である旧南部町の話題に至るまで、さまざまなお話を聞かせていただきました。その温かい人柄と包み込むような懐の深さに若かりし日の私も常に尊敬の念を抱いておりました。私が運輸政務次官を務めていた1989年、先生は「関西国際空港建設等に関する質問主意書」を政府に提出されました。私は政府の答弁内容を決定する前に先生をお訪ねし、詳しくこの問題の要点をご指導いただきました。また、地元紙のある投稿記事からカンボジアでバスが不足していることを目にした先生は即座に行動。当時の中紀バス株式会社高垣宏社長の多大なる協力のもと、カンボジアにバスを寄贈されました。先生からのご命令で私もこの事業のお手伝いをさせていただいたことは印象深い思い出です。
今、改めて先生との出会いに深く感謝をするとともに、後継者であられた西博義先生、浮島とも子先生とのご縁に導いてくださったことが、自公連立体制23年の信頼関係の大きな礎となりました。
世界情勢が緊迫さを増す中、常に世界平和を願っておられた先生の思いをしっかり胸に刻み、「信頼関係」で結ばれた自公政権が大局観を持ち国民の期待に応えるべく、政治を運営していくことを改めてここにお誓いしたいと思います。
坂井弘一先生、本当にありがとうございました。

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