雑賀衆の精神が残る 島根県松江市雑賀町

「雑賀魂」と刻まれた石碑。松江市立雑賀小学校 (島根県松江市雑賀町)にて、次田尚弘撮影

 島根県松江市雑賀町 (さいかまち)。ここは、和歌山に縁のある土地だ。

 1585年、 秀吉による紀州征伐で解体された雑賀衆だが、 その残党が、 松江城の築城に関わった堀尾吉晴により松江へ迎えられた。

 堀尾吉晴は、 秀吉の家来として信長や秀吉に仕えてきた。数々の戦いで雑賀衆の鉄砲隊の威力を熟知していた吉晴は、松江城を守るべく、鉄砲隊の配備を思いついたという。

 雑賀町にある雑賀小学校の正門前に「雑賀魂」と書かれた石碑がある。 観光案内所のスタッフによると、 雑賀衆は鉄砲を扱うため算術などの知識を持ち合わせており、 それを共有するために多くの寺子屋ができたという。

 勉学に熱心な地域で、 元総理大臣の若槻礼次郎 (1866~1949)や、 近代スポーツの父と慕われた岸清一(1867~1933) など、多数の偉人を輩出している。「雑賀魂」 とは、「世のために学問に励み、 日本一になれ」という精神で、今なお、児童らに受け継がれているという。

 雑賀衆の認知度について尋ねてみた。 雑賀衆は足軽として知られ 「あしがる君」 というキャラクターがあるほど。 しかし、 雑賀衆が、 和歌山で生まれた集団であることを知る人は少ない。

 雑賀衆は孫市の会 (森下幸生会長) の尽力により、 和歌山市の観光資源として定着してきた。 同会は松江市民を和歌山へ招く取り組みを行ったこともある。

私も、 和歌山市観光発信人として、 山陰の地で、 和歌山との関係や魅力を発信していきたい。
   (次田尚弘/広島)


2011年07月19日 15:35