■2003西博義
新年早々、我が家にとって寅重な“宝物”を手に入れた。
私の父は小山家から西家に養子に来たが、父の古いノートが生家の蔵の隅から見つかったという。
早速取りに行くと、和紙をひも紐で綴じた約三百ページの冊子で「我が家の農業経営」と題されていた。最後のページはぼろぼろになっているが、「昭和十年ニ月、小山六郎」という字がかすかに読める。当時、父は十七歳。吉備実業学校(現・有田中央高校)卒業を目前にしていたころのノートで、生家の農業の実態と改善策について、びっしりとペン字で書かれている。学校の卒業論文として作成したものと思われるが、よくもまあ調べたものだと驚かされる。農作物二十八種、果樹十種、家畜、山林・竹林、味噌・醤油、製縄、草履に至るまでそれぞれの生産量や価格、労働日数などを一年間にわたって調べ上げ、一家の収入と支出を計算し、経営状況を分析している。
その中で、農業簿記を徹底して、農業に経営の観点を取り入れること。共同購入や共同出荷等により、安く仕入れ、計画的に高く販売すること。栽培記録をつけ、研究しながら省力化や増収を図ることなどを経営改善策として訴えている。
農業経営の改善は、現在でも大きな課題であるが、約七十年前に十七歳の少年が我が家の実態から導き出した課題は、今なお当てはまるような気がする。
また、「村内の優秀な人物は都会へ向かい、甚だしきは我が家の全財産を挙げてその優秀な頭の持ち主の為に出資し、昔より受け継ぎし神聖なる農業を僻むが如き感があった。(略)従って農業の進歩向上が行われず農民は唯自然を相手に米と麦を作りさへすれば良いといふ様な状態となった」との記述は、戦後の高度成長期に若者が都会へ流出し、決定的に疲弊した農山村の状況を予言するかのような文章である。
平成十二年に「食料・農業・農村基本法」、平成十三年に「森林・林業基本法」が制定され、約四十年ぶりに農政・林業政策の抜本的見直しが行われた。
わが国の農林業・農山村をめぐる状況の変化に対応するもので、食料の安定的な供給確保を目指すとともに、国土や環境の保全など農林業・農山村の持つ多面性も見直されている。
現在、和歌山県では、森林再生など自然環境の整備により、農山村地域に雇用を生み出す「緑の雇用事業」を展開している。私もこの事業に対して国が支援するよう、微力ながら力を尽くさせていただいた。「緑の雇用事業」により、都市からも若者が農山村に移り始めた。そうした若者から「人生お金だけではない、田舎のライフスタイルが好き」という声も聞いた。
まだ始まったばかりだが、農山村にも新しい胎動が感じられる。
教員をしながらも農業指導をはじめとした農村地域の振興に熱心だった父。今、父の残したノートは、農山村が再び魅力ある場所になるように力を尽くせと、亡き父の思いを語りかけてくるような気がする。
(2003西博義)
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