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2004年12月21日

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ニーズに即した少子化対策 未婚問題にこそターゲット絞るべき
5_5.gif ■2004鶴保庸介

  「私は産みたい」 とたからかに宣言してくれる某女性国会議員のおかげで、 どこへ行っても同情やら激励をいただく。 あまりの反響の大きさに、 少子化の時代をまさに肌で感じられるし、 私事にかかわることだから、 とも言っていられなくなってきた。
 一年間で生まれた子供の数も、 ベビーブームの一九四七―四九年の二百七十万人に比べると、 この十年は半分以下になっている。 このままだと、 現在の一億二千六百万人が二〇五〇年には一億人に、 二一〇〇年には六千七百万人に減るという。
 古代ローマでは子を持たない独身女性は五十歳を超えるやいかなる相続権も認められないなど、 独身者と子を持たないものには経済的、 社会的に不利な処施策が講じられたという。 また、 規定圏外の年齢の者、 の間での結婚、 すなわち、 老人と若い娘との結婚は奨励されなかったともいう。 ローマ時代に生まれたくはなかったとはある壮年男性の弁。
 冗談はさておき、 現代に至っても、 非嫡出子の権利を大幅に認めたフランスの民法も少子化対策の側面が多分にある。 歴史を省みる時、 人口が減少して繁栄した国はない。 加えて、 ドイツやイタリアなどの少子化は民族の消滅を意味しないが、 日本は違う。 いまや少子化対策は国を挙げて取り組まねばならない大問題なのである。 しかし、 わが国では高齢者対策は五十兆円もでているが、 少子化対策はそれとわかる直接的なものはない。
 また、 児童手当は旧厚生省、 育児休業手当ては旧労働省というように、 縦割りでその事務の連携が取れていないとの指摘もなされてきた。 そもそも児童手当自体が少子化対策に有効かというアンケートに3%がYESと答えたのみであることを考えると、 延長保育や奨学金の整備、 充実、 住宅、 土地負担の軽減などむしろ子育て費用を軽減する方向に向かわねばならないのに、 他の省庁と連携してわが国の総合施策としていくことはまだまだ動き出したばかりである。 保育所の整備に目を向けても、 待機児の65%は〇~二歳までの低年齢児。 緊急度がもっとも高い五十人以上の低年齢児がいるのは、 百十五市町村で全国の3、 5%。 主に大都市である。 そうした地区でこそ,交付金が使われるべきなのに、 交付金は全国の市町村にくまなく配分されている、 という。
 また、 対象保育所は公立と社会福祉法人の認可法人のみ。 株式会社が経営する認定外保育所は対象とならない。 これでは本当にニーズに即した少子化政策か。 不妊治療を受けるための診療所は少し有名になると長蛇の列だし (それはもう恐ろしいくらい)、 不妊に悩む夫婦 (というより主に女性) のためのサイトは年々盛況 (?) を博している。
本当にわが国の夫婦は子育てにお金がかかるとためらって子供を産まないだけなのか?
夫婦の理想の子供数は二・五三人で、 「三人以上」 という人もアンケートなどでは多いように、 産みたいと考え、 努力している向きは決して少なくないはずである。 十年前に三割だった二十五~三十歳の女性の未婚率が今は五割。 と考えると、 先述した総合的な施策とともに、 未婚問題にこそターゲットを絞るべきであろう。 (子育て支援政策の) エンゼル・プラン (九四年十二月に策定) では間に合わない。 結婚奨励の 「キューピットプラン」 である。 合コン奨励というのではない。 これは子供を産んで不利な状態に置かれるならいっそ独身のまま仕事で生きますという方のために男女の社会的格差をどう埋めるかにかかわる大きな問題である。 ただ、 「結局は魅力的な男性が少ない」 とあちこちからため息がきこえてきそうではありますが。


(2004鶴保庸介)
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