■2002鶴保庸介
私は絵をかくことが苦手である。正確に言うと描いたものを誰にもほめてもらったことがない。情け容赦のない親などは指さして笑いものにしてくれたことさえある。その私がこのたび絵をかいたことで賞をいただいた。
その名は芸術議員連盟激励賞。まあ、早いはなし内輪の展覧会でこれからも世間の批評にめげることなく絵をかき続けなさいよという趣旨でもらったような賞である。しかし、私は賞をくれた審査員のこうした術中に見事にはまってしまった。大変にうれしいのである。題名は「熊野古道」。先日もある週刊誌などが取り上げてくれたりしたので愚作がお目を汚した被害者もいるかもしれないが、本人はいたってまじめに描いたつもりである。
和歌山全県を馬車馬のように毎週毎週走り回る。それがかなわぬことと分かっていてもああここでゆっくりできたらなあと思うことは一度や二度ではない。熊野灘に沈む真っ赤な夕日。堂々として物言わぬ山並み。わが県にはたしかに癒しの何かが存在する。これらのものに心動かされ感動のあまり絵筆をとったなどという格好のいいことを言うつもりはないが、今回はどうしても書かねばならない事情ができた。日中友好三十周年記念の行事として、双国で展覧会をすることになったのである。
主催は私が事務局長を務める芸術議員連盟。中曽根元総理や海部元総理が役員を務める由緒正しい(では由緒正しくない議連とはどういうものかと突っ込まれそうだが)議連だ。事務局長が苦手ですからとうそぶいていては誰も出品してくれない。「こんなに下手でも出せるんですよ」とカラオケのトップバッターを引き受けるようなつもりで出品することにした。しかし、やってみると重大な誤算があった。時間がないのである。
毎日早朝から党の勉強会。法案の説明のために役所の方々が事務所へ入れ替わりいらっしゃる。委員会や本会議や法案の素案作りになる与党三党の協議会。平日の日中はほぼ手いっぱいである。週末は地元秘書さんたちがてぐすね引いて待ってくれている。しかし深更自宅へ帰って家内の冷やかしに耐えながら落ち着いて絵をかくことなど到底できない。仕方がないから、細切れの時間をつないで議員会館をアトリエにせざるを得なかった。指やらズボンやらに絵の貝をつけて突然の来客に対応しながら、つくづく芸術は余裕が無いとできないものと思い知った。
しかし、こうしたゲリラ的制作もやってみると今はえらそうに語ってみたくなる。
今、日本は先進国の中で最も自殺者数が多く年間三万人もの命が奪われているという。世界一の長寿国を作りながら幸せを実感できない。当たり前のことだが、幸せは他人が強制するものではなく、人それぞれであってよいはずである。しかし、ステレオタイプの幸せを求め続けた日本人はあるべき人生から外れたとき絶望に打ちひしがれる。そもそもあるべき人生などないはずなのに、幻想を抱かせた社会や教育を恨むことすら知らずに多くの人が人生を終える。
私は公の意識の無い社会は滅びると思う。しかし、一方で自由の無い社会もやがては破掟すると考えている。自由と自己責任。してはならないことのルールをはっきりさせ、その裏にはどんな価値観も認め合う鷹揚さを持った社会がこれからのわれわれが目指すべき社会ではないか。
この意味では人生の楽しみを自分の力で味わえるはずなの中高年に元気がないのはちょっと気がかりである。余裕が無いというのは私のような場合にはともか(そうは言ってはいけないのだが)、社会としてはあってはならないのである。
熊野は魂のふるさと。その熊野を描きながら、そんなことを考えて一生の趣味にできたらと思う。
中国でもし私の絵を見てくださる方がいたら声高らかに宣伝をしたいと思っている。本物を見に来て下さい。癒しの世界遺産へと。ただしその後はニ度と私の絵をみてはいけませんよ。熊野に悪いから。
(2002鶴保庸介)
|