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2003年01月07日

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司法分野にも改革のメスを 行政訴訟の仕組み十分に機能していない
5_5.gif ■2003世耕弘成

 政治、官僚、医療、教育。現在あらゆる分野で速度の違いはあるにせよ何らかの改革のメスが振るわれている。その中で最後の聖域として残っている分野が司法、裁判官の分野ではないかと思う。特に深刻なのは国民や企業が国や自治体の行政に不満を持った場合に訴える「行政訴訟」の仕組みが十分に機能していないことである。
 これからの日本の国の在り方として官主導から民主導へと大きく舵を切っていかなくてはならない。そのためには行政に事前の規制をできるだけ少なくしてその代わりに何か問題が起これば、裁判によって事後的に決着をさせていくという仕組みが重要である。現在行政サイドの規制緩和は進みつつあるが、司法サイドの対応は十分ではない。これではいくら規制緩和を進めても、結局は官僚による恣意的な行政指導が幅を利かせてしまう。
 この現状を打破しようということで、昨年秋、林芳正参議院議員を会長に、私が事務局長を務め、ほかに塩崎恭久、渡辺喜美衆議院議員ら若手議員六人、新進気鋭の学者と弁護士らが一体となって「国民と行政の関係を考える若手の会」を立ち上げ、精力的に勉強と議論を重ねてきた。
 会の検討の中で、行政訴訟上のいろいろな問題点が浮き彫りになってきた。特にあぜんとしたのは行政訴訟においては「門前払い」的な判決が主流となっていることである。大阪空港騒音訴訟においては、十二年間も裁判を続けた上で出た判決は「本件は司法の判断にはなじまない」という趣旨のものであった。ほかにも「訴えの正当性がない」などの判断で逃げてしまっている判決が非常に多い。要するに「痛いから助けてくれ」と言っている人に対して、何とかしてあげようというのではなく、痛いという資格があるかどうかという議論をしているわけである。
 しかも行政訴訟は事態が発生してから三カ月の間に訴え出ないと無効になってしまう。情報量や資金、時間、人的リソースの少ない民間人にとって、行政を相手にする裁判の準備をわずか三カ月で完了するのは至難の業である。こういう面でも行政訴訟は国民に対して非常に不親切である。
 また裁判官の人事制度の問題も明らかになった。裁判官の世界もサラリーマン社会である。キャリア裁判官制度のもと、上(最高裁)の判断に逆らわない判決を出していれば無難に出世できるという仕組みになっている。これでは国民の立場に立った判断はできない。さらに「判検交流」という問題もある。多くの裁判官がキャリアステップの中で法務省に検事として出向して、行政側の弁護人を務めているのである。こんなことで司法と行政の独立性が保てるのであろうか。
 こういった問題点をベースにして、今月中には若手の会としての貝体的提言を発表したいと考えている。現在会における論点の整理結果をホームページ上で公開し、意見の募集を行っている。関心のある方は是非一度ご覧いただきたい。(http://www.kokumin-gyosei.jp)
 昨年は、「迷惑メール対策法」に始まり「緑の雇用」、「高速トンネルの携帯開通」そして「司法改革」等々と国や和歌山の変革、発展に役立つ施策に正面から取り組んできた。本年も問題点を発見し、その解決に果敢に取り組む姿勢を貫いていきたい。


(2003世耕弘成)
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