■2003二階俊博
去る九月一日から三日間、私たち保守新党の全国研修会「屋久島トップセミナー」は、九州を代表するような「屋久島いわさきホテル」で二百人の同志にお集まり頂き開催しました。屋久島は、先人が「神の領域」と称したといわれる神秘の島であり、世界遺産に登録されて十年、その風格を感じさせてくれるような巨大な島であります。私たちの郷土が誇る高野、熊野もいよいよ世界遺産に登録される日が近づいており、地元の町長さんたちから道路の整備や、ごみ処理などの切実なご要望を伺いながら、明日はわが身ということで、早速、木村知事にもこのことを報告しておきました。県としても、地元の町村としても、今後の対応を考えておくことが大切だと思いました。
屋久島からの帰途、私は、友人たちと鹿児島の南端の特攻の基地知覧の町を訪ねました。かねてより作家の神坂次郎先生が書かれた『今日われ生きてあり』を拝読するとともに、そのころ、神坂先生と対談させていただく機会があり、「知覧」のことは深く記憶に鮮やかでした。知覧特攻平和会館の前庭には、神坂先生の立派な文字碑が建立されていました。
若人たちが次々と敵戦艦をめがけて飛び立って行く姿や、近所の軍の指定食堂のおばさんに、「自分は必ずホタルになって帰ってくるから―」と言い残して戦場に赴いた若き特攻隊員の様子を神坂文学は余すところなく伝えてくれています。神坂先生に早速、お電話を入れて「今、知覧にお伺いしております」と伝えました。平和会舘の前には、知覧の霜出勘平町長さんが出迎えてくれており、会館内では松元理事さんがとても詳しく説明してくれました。
暴走族の茶髪の高校生から「僕と同じ世代の若者がお国のために自らの命を犠牲にされた。それなのに自分は一体何をしているのか、誠に恥ずかしい。僕はもう、暴走族をやめます」との手紙をもらったことなども紹介してくれました。
最近は修学旅行の生徒や、JC(日本青年会議所)の方々なども訪ねてくれますと話してくれました。私が和歌山県の出身であることを知ると、県の隊員の当時の様子を詳しく語ってくれました。和歌山市の人、川辺町の人、美浜町の人、御坊市の人、那智勝浦町の人、いずれも若く立派な隊員が遺書を残して、突撃して行かれた様子は涙が自然にあふれてきます。
「この御坊の人『中本甚之助』さんだけ遺族と連絡がとれません」とのことでした。
「番地から、きっと私の近所の方です。必ず捜してきますから―」と約束しました。柏木御坊市長に捜していただいたところ、ご遺族の中本七美さんは、偶然にも私の同級生でした。近く、お伺いして最近の知覧の様子をお伝えしたいと思っております。
(2003二階俊博)
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