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2005年11月08日

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多数決の議事録は公表が筋 国会議員は時代の証言台の被告人
5_5.gif ■2005鶴保庸介

  「おめでとうございます。」 いきなり見ず知らずの人にホテルのロビーでそう声をかけられて戸惑わない人はいないだろう。 ご本人は私の連れ合いが先の総選挙で逆境の中、 当選させていただいたことを言ってくれているらしい。
  「大変な選挙でしたでしょう」 などというやり取りが続いた後、 いつものように憂うつな気分になる。 わざわざ話しかけてくださるぐらいだから、 私には好意的であることが分かるだけに、 そんな気持ちになることが大変申し訳ないとは思いながら。
 確かに連れ合いの衆議院議員が、 総選挙で五度目の当選をさせていただいたといえば、 誰もがおめでとうとなんのいやみもなく言ってくれるのが自然である。 しかし、 この人もあの人も本当のことを知らされていないのだ。 また、 そんなことを聞く耳を持つ人かどうかが分からないまま気の向くままに話を進めることもできない。 そんな葛藤(かっとう)が私を憂うつにさせるのである。 したがってこの稿は聞く耳を持ってくれている人だけにスペシャルに配信するものとしたい。
 私は今でも今回の選挙はルール破りの間違った選挙だと思っている。 なぜなら、 党本部が 「党議拘束をかけた」 つまり、 自民党員であれば誰もが今回の郵政法案には賛成する義務があるぞ、 反対したら選挙で公認も取り消すぞ、 党籍も剥奪するぞ、 とは党の総務会の三十一人の決定があってこそのはずであるが、 その決定が怪しいからである。 私は総務会決定が公正に行われたものであれば、 今回の選挙、 刺客、 離党、 などという一連の流れに全く異存はない。 当時報道されたとおり、 総務会の決定はこれまで日本的、(というより自民党的というべきか)円満解決策として全会一致が原則であった。 (しかも、 これは党則などに定められたものではなく、 「慣例的」 におこなわれてきたというのだから、 恐れ入るが。)
 時代はダイナミックにかわらねばならない。 もっともっと革命的な改革をすすめねばならない。 そのようなときに各人の意見が全員一致でまとまるなどというのはありえない。 町内会の意思決定でも最近では意見の対立があるくらいである。 多種多様な価値観が先鋭的にぶつかり、 それでもすすまねばならないとき、 われわれは民主主義の手法として多数決をとるのである。 だから今回、 慣例を破って多数決でことを決したことは異存どころかむしろもろ手を挙げて賛成したいぐらいである。 ただ、 それではだれが反対したのか、 誰が賛成したのか、 誰が棄権したのか、 本当に法案に対して正式に意思決定があったのか、 皆さんはご存知だろうか。 実は国会議員ですら誰も知らされていないのである。
 党本部は今でもこれを非公開にしたまま、 議事録はおろか、 反対と賛成の数すら公表していない。 いくら問い合わせても、 「慣例」で非公表なのだそうだ。 私は殺されても主張したい。 これは駄目です、 と。 賛成が多いか反対が多いかを争っているのではない。 絶対に多数決で導いた議事録は公表しなければいけないと主張しているのである。 多数決というルールを支えるのは、 主張の隔たりがあってもお互いがその主張を尊重していこうというもので、 これを無視する制度ではなく、 したがって少なくともどんな少数意見がどのようなプロセスで決まったかはそれぞれの国会議員が後世に責任を持つべきだと思うのである。 少数意見に正義がないかというとそうではない。 いや、 多数決で決めたことが完全無欠の結論だというほうが少ないのではないか。 裁判などでも少数意見が必ず評決文に添えられるのもそうした趣旨で、 導かれた結論は尊重するが、 少数意見としてこんなことがあった、 だから今後の運用にはこうした反対意見に十分に配慮するように、 ということが過去の失敗に反省してできる社会の知恵なのである。 しかも今回は国民の代表が何百人も集まって投票行動を決める重要な意思決定であり、 その決定をもって議員としての資格を剥奪されたものもあったほどの重大な決定ではなかったか。
 戦前の話を持ち出すまでもなく、 私たち国会議員はいつも時代の証言台に立たされた被告人である。 多数決はそういう厳しさを持つもののはずだ。
 しかし、 多くの国会議員はこの落とし穴に気づいていないか、 知ってもしらぬふりをしてあやふやにしようとしている。 もし、 国を結果的に誤らしめる法案が提出されたとしても、 これでは防ぎようがないではないか。
 一日も早く、 党則を改正し(もしくは公開を慣例化する)、 多数決で決めた場合には議事録を公開すべきだ。
  「大変でしたね」 と話しかけられて答える 「ええまあ」 にはこんな意味を込めている。


(2005鶴保庸介)
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