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2006年05月24日

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発想の転換で漁業改革を 水産王国和歌山の復活は一日にして成らず
5_5.gif ■2006鶴保庸介

 ようやく和歌山県でミーティングを開くことができた。
 以前、 この稿でも申し上げたが、 昨年、 私は自民党水産部会長として党の水産政策の取りまとめ役をおおせつかった(事実は周りに迷惑のかけどおしであったが)。 その際、 現場を知らずして政策もなにもない、 もっと積極的にこちらから出向いていこうということではじめた地方の漁業者との意見交換会。 称してフィッシャリーミーティングを、 いよいよ念願の和歌山県で行われることになったのである。
 水産政策を専門とする国会議員が集まって各地方で現場の意見を吸い上げようと行っている会合である。 今回はすさみ漁協、 有田市箕島漁協のみの会合であったが、 さすがに周辺の大勢の漁協の組合長にお集まりをいただき、 大変有意義な会合ができたと感謝している。
 過去に千葉や富山、 長崎などで行われてきていて、 窮状をうったえる大陳情会と化するケースも多かったが、 そこは関係のご協力。 ただ、 「密漁者が多くて困っている。 もっと国に何とかしてほしい」 という問題提起がなされたときなどは、 水産庁が 「それは県がやる仕事だ」 と釘を刺していたのは少々しらけ気味であった。 漁協は国に。 国は県に。 責任の取り合いをするぐらいでもいい加減なのに、 責任のなすりつけあいとは何たることか。 「喝!」 と大沢親分におでまし願いたいところだが、 誰に喝を入れてもかわらない。 こうしているうちにも泣いているのは漁業者だと思うと冗談を言っている場合ではない。 漁業改革はこの辺から始めなければならないなら、 まだまだ道険しいといわざるを得ないようだ。 いずれにしても、 燃油の高騰と魚価安。 海に勇んで出て行っても家族も養えないでいる窮乏がそこにはある。
 この稿に何度も書いたが、 今日の水産の現場はカラオケおじさんがうたうような海の男の勇壮な雰囲気はない。
 ではどうするか。 私はそろそろ水産の現場もコペルニクス的発想の転回が必要なのではないかと思っている。
 最近の中国の台頭。 かの国の水揚げ高は世界でダントツの1位である。 私は水産王国日本の漁業が一番だと習った(記憶違い?)のに、 ことは目まぐるしく変わっている。
 ここでいくつか提言。
 漁業者はもはや魚をとるだけでは生きてはいけない。 とった魚をいかにして高く売るか。 品質を落としたり、 値段を上げたりしたら消費者から見放される。 漁の時期をずらしたり、 効率を上げたり、 時には適量を管理しながら漁獲したりして、 流通全体に目を光らせる経営感覚が必要なのである。
 あと数十年もすれば世界の食料危機がやってくるといわれる時代に、 貴重な蛋白源である水産資源を効率的に利用していく体力をつけておくことが何より肝要なのである。 水産先進国のノルウェーは日本の漁獲量なら今の10分の1の漁船で漁獲が可能であると豪語したそうだが、 日本の漁業はまだまだ非効率であるといわれているのである。 また、 漁業権をはじめとする既得権を根本から見直す時期に来ていると思う。 こういうと誤解を生むかもしれないが、 海の上で生業をしているということは、 周辺の漁村の皆さんでなければしてはいけないものではない。 海の産物は等しく日本国民全体の財産であり、 それを効率よく利用できるなら現在の漁業者、 漁協のみが特権的に許されていいものではない。 そろそろやる気のある漁業者の新規参入があってもいいと思う。 その意味では徹底的な海産物の物流の改革と、 漁業者の健全な競争が必要なのである。
 以上、 漁業者に耳痛いことばかり、 思いつくままに並べてみたが、 ほんとはわれわれも努力しなければならないことがある。 それはみんなが 「魚を食べる」 こと。 水産王国和歌山の復活、 「海の男」 の復活は一日にしては成らないのである。


(2006鶴保庸介)
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