わかやま新報は、和歌山市を中心とする和歌山県北部唯一の日刊新聞です。
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f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
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2007年11月27日

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魅力ある和歌山へ議論を 河川敷環境美化の夢を共有しながら
5_5.gif ■2007鶴保庸介

 田辺までの高速道路が開通した。開通式の日には出席した多くの関係者とともに喜びをともにしたが、私はそのときもうひとつの「道」に思いをはせてもいた。それはその直前に「完成」した紀ノ川のサイクリングロードである。といってもまだサイクリングロードと呼べる代物になっているのか実は私自身もまだ見たこともなく、この稿で紹介するのはおかしいのかもしれない。しかし、田辺までの高速道路開通の同じ日に、全国から集まったサイクリストが和歌山県で全国大会を開いてくれていたのである。関係者の努力に対して敬意を表したい一心で紹介したい。
 実は私は和歌山県のサイクリング協会の副会長を務めさせていただいている。特に自転車が好きで好きでたまらないという「サイクリング野郎」というのでもなければ、プライベートの時間そのものがあまりないため、自転車に乗る機会もほとんどない。そんな私が協会のご好意をいただいているのは、協会の皆さんとある「夢」を共有しているからであると思っている。それは和歌山の河川敷の美化、整備である。
 さかのぼること4年ほど。国土交通省の大臣政務官を務めさせていただいたころにある町からの陳情があった。「河川敷に桜を植えたい」というものである。その町の河川敷には以前から町民の親しむ公園が広がっているが、その公園をもっと魅力あるものにしたいというのである。しかもその桜の費用はほとんど町が持つということ。国の財布をそれほど傷つけることもないのだからと二つ返事で快諾してしまった。しかし、国土交通省の答えはノー。河川堤防内の開発、特に植樹などはやがて根が張って堤防を傷つける恐れがあるという理由である。ちょっと待ってくれ、長い間の放置のために河川中央には大きな樹木が茂っているではないか。堤防の安全というならこの木も切らなきゃと食い下がると、この茂みが自然保護の観点から大切なんだという。見ると公園を訪れる人々の出すごみなどがその茂みに引っかかってかえって汚いらしい。これも自然か、と問うと、そうだと譲らない。そのときはそれで河川の浚渫をさせ、桜は結局あきらめざるを得なかった。
 「ならば、夜中に桜の苗木を勝手に植えてやれ。それも自然。伐採はできまい」と当時のその町長さんと憎まれ口をたたきあったことを覚えているが、堤の安全を守らねばならない役所の気持ちはわかるが、堤防の安全にかかわらない程度の開発についてはもう少し柔軟に対応すればよいのではないか、とそのころから、紀ノ川の河川堤防を車で通るたび、生い茂った河川の様子を見て思ったものである。
 そんな折り、ひょんなきっかけで県のサイクリング協会から県内の大会を開くのに和歌山市内の工事用堤防道路を一時的に走らせてほしいという陳情を受けることになった。河川堤防という難しい論理に辟易していた当時、一瞬たじろいだが、これまた誰かが得をしたり損をしたりする話ではない。県内にある国土交通省の出先機関にかけ合った結果は、了解とのことでめでたくその工事用道路を開放してもらい、走ることができた。そのときである。サイクリング協会が主催している市民の大会だということで家族連れの方などが思い思いの自転車で参加されていたのだが、生き生きとその一日を楽しんでくれていたその光景を目にしたのは。よく晴れた秋のことであったが、「こうして安全な自転車用道路を県内に作ることができたら」いいのに。そしてそれが「堤防内に作ることができたら、河川の美化にもつながる。将来はその親水地に親子連れがバーベキューに来てくれるような町になってくれればもっともっと流域は活性化するのでは」とサイクリング協会の皆さんと喜びとともに語り合った。
 はじめは思いつきで、という程度だったが、国交省の県内出先機関にしつこくかけあっているうち、その幹部職員にサイクリングに理解ある人がいて、サイクリングロードにかける費用などほとんどないから、協会の人に試走でもしていただいてボランティアで路線図を描いてみよということになって、協力をお願いした。昨年のはじめごろだったと思う。当時、全国大会が開かれるその翌年に向かって関係者が奔走しているときであったから、くだらない計画につき合わせたのでは申し訳ないの一言ではあったが、結果として和歌山だけでなく、紀の川市内の議会議員の方々の強力な支援もあって、とにかくサイクリングロードを、ということになっていった。
 私は緻密な計画があってサイクリングロードを計画したのではない。しかし、想像してみてほしい。ごみと不法繋留のプレジャーボートの天国になっているあれだけの土地が美しくよみがえった姿を。県内には山と海があるが、川というもうひとつの財産を忘れていないか。内水面漁業者などとの調整は必要であるが、肝心の街づくりがおろそかになって川そのものが汚れてしまっている地区も存在する。2015年には国民体育大会が和歌山県で開かれるが、その運動場確保に県も頭を痛めているという。「今しかない」。そう直感したのは今でも間違いはなかったと思っている。
 ひとつのことに批判は覚悟である。しかし、何かを動かしていかねば現状を守ることもできない。自然保護を訴える人、漁業者、行政。さまざまな人からさまざまな意見をいただいてきたし、これからもいただくことになろうと思う。しかし、そんな中、大いに議論をしたい。魅力ある和歌山をどうつくるのか。について。


(2007鶴保庸介)
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