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2009年02月03日

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それでもあなたは道州制を支持するのか 国の管理目的ありき、地方分権は夢のまた夢
5_5.gif ■2009大江康弘

 3232から1781で1459減。
 60935から36014で24921減。
 50から30で20減。
 792から493で299減。
 この数字は順番に全国の市町村数、 市町村議員数、 和歌山県の市町村数、 市町村議員数で、 いずれも平成9年から19年までの10年間の推移である。
 いわゆる平成の大合併といわれる結果、 日本がこんなに小さくなった。
 確かに、 財政赤字を抱え、 借金が国と地方を合わせて約800余兆円と聞けば戦後、 肥大化した行政機構や政治体制 (議院定数等) は、 当然第一番目に見直されるべき対象と映るのは自明の理としてもその一方で、 多様化する住民の要求や要望、 また、 大切な生命の安心・安全をどう守っていくのかといったきめ細かな対策をハード・ソフト両面で講じていこうとすれば、 網の目が段々と大きくなっていくような今の方向こそ問題があるのではないかと言える。
 田舎が捨てられ、 過疎地が、 山村や冷魚村が顧みられないような行政の在り方が果たして、 時代が求める方向なのか? 大いに疑問に思う。
 「何を時代遅れな事を」 と読者の中には言われる人もいようが、 振り返って、 平成の大合併が始まってからどんなに良い方向に変わったと思われるだろうか。
 前段の数字だけが、 目に見える大きな実績だが、 住民からすれば行政が益々遠い存在になってしまっているのではないか。 否、 全く関係のない所へと行ってしまっていると感じているのではないだろうか。
 意志決定のスピードにしても例えば、 今までは個々の市町村と、 それをベースに広域圏制度があり、 大きな共通する行政課題はそれぞれの市町村が同時進行させ、 意見を細かく積み上げていくシステムであったが、 合併して、 二つが一つ、 三つが一つ、 五つが一つになって大きくなれば、 今まで個々に積み上げてきた機関がない分、 相当な時間と経費とマンパワーが必要となってくるので、 中々進んでいかず、 むしろスピード感をなくしているのが実情ではないか。
 このようなシステムは少なくとも国 (総務省) は自治体を管理しやすくなって喜んでいるかも知れないが、 本当は住民にとってこれほど迷惑な話はない。
 肥大化した行政の無駄や無理をどう是正していくのかは、 本来それぞれの自治体が知恵を出して決めるものである。 それで赤字でその自治体がつぶされるとなれば、 当然責任は自治体にあって、 そこで合併の話が必然とされてくるだろう。 最初から、 管理目的や合併ありきで進んでいくから、 日本の自治体はいつまでたっても住民自治に変わっていかず団体自治のままで、 地方分権など夢のまた夢になっていくのである。 こんな合併話の延長に、 語られているのが昨今の道州制議論である。
 マスコミの脚光を浴びている大阪や宮崎の知事は積極的なようだが、 もしこの近畿が道州制になってそのトップを選ぶ時、 とても毎日、 テレビに出ているような人物には選挙で勝てそうにない。 そんな人物がトップに立って果たして和歌山県の片隅まで心の通った行政の光を当ててくれるとはとても思われない。
 それでも皆さんは道州制に期待をするのか?


(2009大江康弘)
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