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f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
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2009年12月01日

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未来の発展を信じよう 政治は「目先の利益」でない
5_5.gif ■2009鶴保庸介

 那智勝浦町長がなくなった。 報道によると、 自殺であったらしいが、 その原因は町政に責任を全うできる自信がなくなったというものである。 仮にそれが事実なら、 これほど痛ましいことはない。 那智勝浦町は従来から町財政のひっ迫状況から、 新宮市との合併を模索するなどの 「生き残り」 をかけた動きが表面化していたことは多くの方が知るところである。

 しかし、 それだけに町民が数カ月前の選挙で当選したばかりの町長に多くの期待を寄せていたことは想像に難くない。 それがプレッシャーになっていたとしたら、 町長の弱さに幾分責められるべきところはあるとしても、 肝心の一般町民の政治への信頼の欠如という側面が色濃く出てしまったのではないかということに危惧を覚えるのである。 すなわち、 一般論として、 現職首長の選挙はどれも厳しいといわれている。 なぜなら、 社会不安ともいうべき現状への不満が政治家や政治そのものに鬱積しているからである。

 しかし、 だからと言って政治は目先の利益を求める民衆に迎合しているわけにはいかない。 ともに苦しみを乗り越え、 未来の発展を信じるような気風こそが国や地域の発展を醸成するものであるはずであるが、 いまや 「個」 の時代といわれてひさしい。 旧知になるが、 杉並和田中学校の藤原先生によると、 現代という社会は利便を追求するあまり、 人と人との 「つながり」 がなくなった、 と指摘される。 スーパーで買い物に行って日用品を買うのに、 誰かと話す必要はない。 電子レンジで個食ができるようになり、 家族と同じ時間にご飯を食べる必要がない。 携帯電話の普及により、 家族の取次が必要になることもない。 これらの 「つながっていない」 状況はおそらく決定的なコミュニケーション能力の欠如を生み出すと結論づけていらっしゃるが、 私はそれは副次的なもので、 社会的なレベルではもっと大きな何かを失わせているのではないかと思う。 みんなで頑張ろうという何かである。

 この点、 鳩山総理も友愛という言葉で懸命に連帯の意識改革を呼び戻そうとしているように思うが、 いま一つ国民の腹に落ちていない。 要はこの目先の利益追求というものにそうではないのですよ、 ということを政治がいかに語れるかが問われているのである。 このことを胸に大いに国民と語りたいと思う。

 町長の旅立ちにこの稿を借りて謹んでお悔やみを申し上げたい。


(2009鶴保庸介)
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