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2011年05月03日

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心の通じ合う支援を 被災地の要望提言政府に提出
5_5.gif ■2011玉置公良

 4月5~6日にかけて、 私は他スタッフ2名と東日本大震災の被災地である宮城県石巻市、 女川町、 南三陸町に入りました。 特に今回は、 全国的にも、 テレビや新聞などメディアから注目されていない石巻から女川、 南三陸町、 気仙沼の間にいくつもの無名の集落があり、 津波でほとんど壊滅している一帯を物資支援と調査することを目的としました。

 私たちがまず入ったのは、 女川町中心から車で40分の 「御前浜地区」。 船舶も車もほとんどが津波にさらわれてしまい、 世帯数56世帯157名の集落で、 流されず無事だった家屋は2軒だけ。

 被災者の状況は、 4月5日の時点で、 入院3名、 行方不明15名、 死者6名。 親戚や身内に引き取られた人を除いて、 約40名が廃校になった小学校の分校に避難所を作り、 避難生活をされていました。 まず一番最初に感じたのは 「暗い表情」 でした。

 携帯の充電池や、 地元の梅干し、 みかんなどを支援物資としてお渡ししたところ、 皆さんから大変喜ばれたのですが、 長引く被災者生活の中で少しでもリラックスしてもらうためにも、 生活に必要なものだけではなく、 例えば、 お子さんならチョコレートなどのお菓子といった嗜好品と呼べるものを持っていてもよかったかなと思いました。 また、 漁師町ですから 「お酒が欲しい」 との要望もありました。

 御前浜区長さんや、 漁師の皆さんら15名の方々と多くの漁業関係従事者の方々に事情と意見を聞いたところ、 「船、 網、 車、 燃料など仕事の道具と手段をすべて失ってしまった」 ということや、 「原発の放射能漏れなどもあり、 漁業やカキの養殖などを再開して魚を捕っても売れない」 という切実な悩みも聞かされました。 また、 長引く被災者生活の中で体調がおかしくなる方が多いということなので、 栄養バランスの調査指導が必要なことを痛感し、 政府にも要望をあげました。

 現地で被災者の皆さんと話して感じたのが、 早く被災者の皆さんに前を向いて歩いてもらえるようにしなければいけないということでした。 驚いた事に国会議員でこの地に足を運んだのは私が初めてということでした。

 そのためには、 復興へのビジョンを示し、 緊急の仮設住宅や暮らしのことを早期に解決を図ること。 それには、 国会議員が現場に入り、 何が求められているのか、 また国が何をしようとしているのか直接被災者に接し、 話をすることが大事と痛感しました。

 自ら現地を回る中で、 肌で感じたこと、 そして被災者からの切実な要望などを基に、 中間報告を作成して政府・民主党本部に20項目の要望提言を提出いたしました。

 また、 国会の方の動きとしては、 復興財源に充てるため、 国会議員歳費を衆参両院とも1人当たり300万円削減する 「国会議員歳費減額特例法」 が、 3月31日の衆・参本会議において成立しました。

 そして、 復旧に向けた新しい日本の再スタートを切るべく、 連休中も審議を行って総額4兆153億円の第1次補正予算を成立させ、 連休明けには、 復興に向けた基本方針や組織を定める 「復興基本法案」 を提出するべく、 政府・与党内でも、 現在、 準備を進めているところです。

 もうひとつ忘れてはならないことはこの復興には時間がかかることです。 震災から早くも2カ月、 被災者のみなさんは新たな苦しみに耐えておられます。 これからは救済の質も変化させなければいけません。 被災地を選挙区としておられる議員の方々の努力には頭が下がります。

 いま、 大事なことは直接被害を受けなかった日本各地の人々がどんな救済活動をできるのか、 ではないでしょうか。

 私は和歌山県民として、 被災地になにができるかを考え続けます。 温州みかんや梅干しを送るのも大切ですが、 それだけに満足してはいけません。 哲学者の梅原猛先生は今回の災害を 「文明災」 と名付けています。 TV、 新聞、 インターネットの情報は確かに便利です。 でも、 被災者の心に勇気を与えるものは、 現地へおもむきフェース・ツー・フェイスで握手することです。 私は今後もできるだけ被災地へ脚を運び、 およばずながらも心を通じ合う努力をする所存でございます。


(2011玉置公良)
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