2011年05月08日

05.紀の川・岩出・海南・紀美野

地域の温もりに感謝 福島から避難の家族

紀美野町で生活を始めた皆さん

紀美野町で生活を始めた皆さん

東日本大震災で被災し、 福島県伊達郡川俣町から紀美野町に避難してきた2家族7人がそれぞれ、 3月の中ごろから町内で生活している。 ふるさとから遠く離れた和歌山での生活に 「地域の方が温かく迎え入れてくれ、 感謝の気持ちでいっぱい」 と話している。

避難しているのは、 鴫原正継さん (54) と淳子さん (同)、 正臣君 (10) の家族と、 新田育子さん (41)、 橋本光君 (11)、 新田勝己君 (10)、 橋本純さん (8) の家族。

鴫原さん一家は、 本来ならり災証明が必要なところ、 同町の配慮で町営住宅への入居が認められ 「町の受け入れは本当にありがたかった」 と振り返る。 正臣君は転校に不安があったが、 全校児童11人の町立毛原小学校の歓迎を受け、 友達とすぐに打ち解けることができた。 新田さんも、 役場が必要な生活用品を用意し、 町立野上小学校のPTAが制服や私服、 文具などをそろえてくれたことに感動したという。 両家族とも周囲からの誘いで地域の行事などにも参加。 「東北とはまた少し違う和歌山の明るさに助けられています」 と話している。

一方、 酪農家の知人は、 家族を和歌山に避難させているが、 乳牛の引き受け先が決まらないため一人地元を離れられずにいる。 また、 テレビで報道される避難所生活の様子と自分たちの暮らしを比べると、 申し訳ない気持ちでいっぱいになることもある。

「できるだけ以前と変わらない生活をしたい」 と、 育子さんは地元で読み聞かせボランティアをしていた経験を生かし、 町内のグループホームで活動を開始。 淳子さんも約30年続けてきた三味線の指導を通じ地域と交流し、 生活のリズムを取り戻しつつある。

子どもたちも積極的に地域のスポーツ活動に参加するなど、 友達もでき、 学校生活も楽しんでいるが、 「福島にいる友達が心配」 と気掛かりな様子。 願いは、やはり住み慣れたまちに戻ること。

鴫原さん家族は、 来年の春まで和歌山で生活し、 その後はできれば福島に帰りたいと考えている。





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