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2009年10月26日
貴志川の古代文字


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 貴志川に解読不能の太古の文字が刻まれた岩がある・・・。そんな不確実な情報を入手した当調査部はコレは見に行かねばと現地調査に乗り出した。

 古代文字。すなわち「大昔の文字」である。北原ミレイの「石狩挽歌」で『変わらぬものは古代文字ぃ~』と歌われているアレである。東京ロマンチカの「小樽の人よ」にも『偲べば懐かし古代の文字よ』なんてのが出てくる。しかし、そもそも、古代文字ってなんだ?日本では、大昔、今の文字とは違う文字を使っていたとでも言うのか。

 なにげなく使われる「古代文字」という言葉、よく考えてみると結構深い。

 アカデミズムの世界では、古代、記紀でいうところの神の時代(神武天皇以前の時代)に使われていたとされる文字を「神代文字」といい、それらは歴史上の観点から全て江戸時代以降の創作であるとして、それ以上特に論じるべきことはないような扱いを受けている。アカデミズムにおいては、弥生時代後期に中国から漢字が伝わるまで、日本に文字はなかったとするのがアタリマエの通説なのである。

 確かに、『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」に、「無文字 唯刻木結繩 敬佛法 於百濟求得佛經 始有文字」とあり、中国は倭人に文字=漢字はないと認識していたらしい。

 しかし日本は広い。中国が日本に接触していた場所が九州の某国だったとして、例えばそこの人々が文字を持っていなかったとしても、紀伊半島でどうだったかは分からない。紀伊半島の某国にアイデアマンがいて、すでに独自の文字を発明していたとしてもおかしくは無いのである。ただしその証拠が無いから、今のところ空想に過ぎない。

 神代文字 - Wikipedia

 まあ「神代文字」についての研究は他のすばらしいサイトに任せるとして、話が脱線しすぎる前に本題に戻ろう。

 神代文字の存在が言われる場所は、貴志川町岸宮の貴志川八幡宮の本殿裏山の古代祭事遺跡である。

 

岸宮八幡宮古代祭祀遺跡
わが国古来の宗教として自然発生的過程を歩んだ神道祭祀の遺跡である。
原始時代の頃から古代社会習俗が神の降りなす座として作ったものであり、環状配石遺構として陽石盤座が点在している。原始時代から鎌倉時代にいたる祭祀用土器類、滑石製模造品、また平安時代の瑞花双鳥鏡などが出土している。
この遺跡には、巨石陽石、上ノ宮、中ノ宮の配石遺構、井戸などがある。(神社前看板文そのまま)

 まずは貴志川八幡宮に向かった。

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 この貴志川八幡宮、今はこじんまりした鎮守様の風情だが、昔は貴志川一帯で最も大規模な神社「岸宮」だったらしく、今現在の鳥居から南東に向かって、貴志川の平野部をほぼ横切る形で一直線上に「岸宮」「鳥居」「神戸」と連続を想わせる地名が残っている。昔はこの長い直線の参道上で「やぶさめ(駆ける馬の上から的を射る)」が行われていたようだ。大きく古い神社にはそれなりの歴史が残されている。隊員の期待は高まる一方である。

 神社の西から「学習の道」標識を辿って登山道に入る。最初は住宅街を通り、すぐに果樹園の間を抜ける農道となる。車一台がやっと通れるような細い道だが整備は行き届いており歩きやすく、ちょっとしたハイキングコースになっている。

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 しばらく登ると三叉路にさしかかる。「岸宮祭祀遺跡」の案内に沿って右折、さらにしばらく進むと、果樹園の中にこんもりとした杜が目の前に現れる。そこが岸宮祭祀遺跡、岸宮遺跡中ノ宮にあたる。

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 巨大な石が無造作に積みあがった感じで、自然の祭壇を形作っている。貴志川八幡宮宮司によると、その昔、忌の祈祷をしていた場所だったと聞いている、との事。さっそくわれわれは神代文字探しにかかった。この巨石の山のどの石に、文字は刻まれているのか・・・。

 石組みは全てこの山で採取できる蛇紋岩で構成されている。蛇紋岩は、和泉山系で取れる青石(緑泥片岩)と同じ変成岩。比較的やわらかく、太古から刃物や玉に加工されて尊ばれていた。なるほど、そういう石が取れる山だから古代に祭壇が築かれたのかもしれない。そして、やわらかい岩だから、何かを刻み込むには最適ではないか。しかし、その分風化も激しい。実際、そこの岩の全てに自然風化によってできたと見られる筋が無数に入っており、線刻との見極めが非常に難しい状態だった。

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 元の写真と、枠内を拡大補正したもの。

 はたしてこれらが神代文字なのかどうか、さすがに調査部内でも意見が分かれた。しかしこれ以下は筆者特権として書かせていただきたい。

 これは、古代人が祭祀の際に刻んだ痕跡である。自然にできた傷に見えるものもあるが、その彫の深さや線の方向が他のものと違っており、人為的に彫られたものであると断定する。中には三角や幹枝を表す図形風に見えるものもある。
 そして次に、これが「文字」であるかどうかというと、それはちょっと微妙かもしれない。その配列・並び方に一定のルールがあるように見えない気がする事が、そう感じる理由である。
 これらは、文字というよりはアイコンに近いものではないだろうか。祭祀であれば日数や人数を数えることもあっただろう、その際に刻み込まれたものであるとか、何かの目印に付けられたものであるとか。しかしこれさえも、いくつかを組み合わせて何かを意味しているとするならば文字に近いと言えるのかもしれない。うーむ・・・。

 謎は深まるばかりである。
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 学習の道に沿ってさらに登り、山頂近くにたどり着くと、そこに、天に向けてそそり立つ巨岩「タテリ岩」がある。岸宮遺跡上ノ宮にあたる。山の麓からでも見える場所にそれは立っており、今でも信仰を集めているらしく注連縄が張られている。

 そもそも大昔は、神を祀る祭壇はここにあって、時代ごとに麓へ降りていき、遺跡が残る中ノ宮を経て、現在の貴志川八幡宮、すなわち里宮へと遷宮したのである。里宮へと遷宮したのは寛元元年(1243)といわれているから、この神社、タダモノではない。

 里宮、現貴志川八幡宮の本殿正面石段の両脇にも、古代祭祀の石組みを思わせる庭園が現存していて、紀の川市指定第7号文化財となっている。

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 上ノ宮タテリ岩から貴志川を望む。平野の扇の要から、タテリ岩は今も人々を見守っている。

ps.
「小樽のひとよ」「石狩挽歌」に出てくる「古代文字」は、北海道小樽市の「手宮遺跡」と余部町の「フゴッペ洞窟」に残るもののこと。神代文字のひとつ「アイヌ文字」に類似することから、本物の古代文字かと一時期騒がれたが、現在では、文字ではなく呪術的な意義を込めた壁画とする説が有力。

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実際に行ってみないと分からない。つうか行ってもよく分からなかった。なにしろ刻まれているという石がやわらかく、風化の爪あとが甚だしい。人為的な線刻といわれればそう見えなくも無いが、はたしてそうなのか。

たとい文字が残されていたとしても、いわゆる神代文字といわれているものとは異質なものだと思う。

これを調査するに当りさまざまな文献資料を読み漁ったが、むしろ神代文字の滑稽さと奥深さに心惹かれた。中国から文字が伝わったのが弥生時代、1世紀にはすでにあったという説や4世紀にようやく伝わったのだとする説など諸説さまざまで、中国の歴史書に「日本には文字が無い」と記載されていることを根拠に、伝来するまで日本には文字はなかったのだとする日本のアカデミックにもいまいち同意できない。

すなわちボクが言いたいのは、日本の古代遺跡や異物に残っていると見られる文字らしきもの、それらは「古代の文字」かもしれないけれども、必ずしも「神代文字」ではない、という事だ。


2009年10月26日 15:45


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