2008年06月29日

2008 04.文化・くらし

実は貴重な代物だった! 和歌山工業に眠るグライダーが福岡の博物館へ

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三宅さんが製作したグライダーの模型

和歌山市西浜の和歌山県立工業高等学校(西英雅校長)に眠っていた戦後県内初製作の木製グライダーがこのほど、福岡県でゼロ戦ほか昭和初期の品物を展示している私設資料館 「音楽館」 に寄贈されることになった。約50年の時を超えて外気に触れるグライダーを横に同校インテリア科長の宮本裕司教諭(43)は「今回の寄贈はお互いのタイミングがあった結果ですね」 と少し寂しそうに話している。

木製グライダーは昭和29年、 和工インテリア科の前身である木工科の三宅利彦教諭とグライダー部94人が製作。国が戦時中に木製飛行機を使用した飛行訓練を行っていたため、 その名残で基本設計図などあったのではないかとのこと。文部省I型滑空機(通称・モンイチ)として登録されたこのグライダーは、当時の運輸省(現・国土交通省)が飛行規程として承認した相当の精度を誇ると思われる貴重なもの。 飛行機が趣味の人にとっては 「なかなか手に入らない」 とのどから手が出るほどの代物だ。
全長5・84m、 両翼幅10・3mの1人乗りで当時、 約20人で引っ張り同校グラウンドや紀の川河川敷で昭和37年まで滑空していたという。
同校では木工実習室天井に木製グライダーをつり下げていたが、 老朽化のため4年ほど前に右翼が落下。生徒の安全を考え現在は解体され保管されている。 現在校舎改築中の同校ではグライダーの保管場所に困っていた折、モンイチが残っている情報を聞きつけた音楽館の渕上宗重館長から 「ぜひ譲ってほしい」と電話を受け、寄贈する運びとなった。
宮本教諭は 「以前から譲ってほしいという依頼はあったんですが三宅先生の意向もあり断っていたんです。 10年前でも5年後でも手に入らなかった。 お互いのタイミングがあった結果ですね」 と感慨深げに話していた。
グライダーは1日、 同校最後のインテリア科生徒たちが同校正門前で組み立て、 お披露目する予定。 2日に再び解体され福岡県に運ばれる。





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