2010年09月07日

05.紀の川・岩出・海南・紀美野

竹房の渡し船転落事故、紀の川市の保田さんが追悼歌作詞

保田耕志さん、追悼歌 「竹房哀歌」

紀の川市竹房にある女性徒らの碑の前で追悼歌を捧げる保田さん

大正4年9月8日に紀の川市竹房の紀の川で渡し船の水難事故により亡くなった女生徒らの冥福を祈ろうと、 紀の川市東大井の保田耕志さん (70) が追悼歌 「竹房哀歌」 をつくった。 この事故を契機に川には橋が架けられたが、 その後も毎年のように遊泳事故が相次いだ。 渡し船の事故からことしで95年。 保田さんは 「時間が経過し、 惨事が忘れ去られそうになっている。 もう一度、 水の怖さを考えるきっかけになってほしい」 と話している。
追悼歌 「竹房哀歌」

大正4年の事故で亡くなったのは、 渡し船で登校中だった16、 17歳の粉河高等女学校の生徒8人と、 田中尋常高等小学校の3年児童1人。 その日は前日からの大雨で水位が2メートル上昇していたという。 川の流れが速く、 遺体は30キロ下った和歌山港や和歌浦港まで流された。 女学生1人は行方不明のままで捜索が打ち切られている。

現在、 竹房橋支柱には大きな 「遊泳禁止」 の看板が掲げられているが、 夏のシーズンには、 観光客らの遊泳が目立つ。

近年も竹房付近では子どもの水難事故が後を絶たない。 竹房橋下の河原は、 紀の川でも特に広く、 夏には大阪や京都など他府県からも行楽客が多く訪れる。 水難事故のほとんどが子どもで、 親がバーベキュー中に酒を飲み、 子どもから目を離したすきに川に入りおぼれてしまうというケースが多い。 危機感を持った地元住民らが15年ほど前に紀の川を管理する建設省 (現国土交通省) に働きかけ、 「遊泳禁止」 と書いた大きな看板2枚を設置し、 水難事故防止を呼び掛けている。

消防によると、 この付近の川の深さは4メートルから5メートル。 水面からは見えないが、 橋脚により、 水面が深くえぐられていたり、 水流が複雑に入り組んでいたりと非常に危険だという。





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