2009年03月06日

00.社会

「市電」の面影があちこちに

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約300メートル続く元電車道の敷石と、路面図を持つ松浦さん(和歌山城で。 後方に見えるのは大手御門)

「市電」 と呼ばれて親しまれた市内路面電車 (和歌山軌道線) が和歌山市に登場してことしはちょうど100年になる。 諸事情で38年前に廃止されたが、 その電車道の敷石が和歌山城や県立紀伊風土記の丘、 紀三井寺などあちらこちらで利用されていることは意外と知られていない。 観光ガイド和歌山の松浦光次郎さんに話を聞いた。

和歌山城の一の橋を渡った大手御門から表坂登り口付近まで、 幅4メートルほどの敷石道が約300メートル続いている。 「ここには電車道の敷石だった花崗岩 (みかげ石) が使われています」 と松浦さん。 オレンジがかった石が多いのが特徴という。
また、 紀伊風土記の丘にはかなり多くの敷石が転用されている。 資料館のピロティや万葉植物園の中、 2軒の移築民家に続く道などだ。 廃線が昭和46年3月31日。 同施設は同年8月オープンだったため多数利用されたのではと同館は話す。
市内路面電車は、 明治42年1月23日に県庁前 (現市役所前) - 和歌浦 (現和歌浦口) 間が開通。 その後、 市駅へ、 紀三井寺さらに海南駅へ、 東和歌山駅 (現JR和歌山駅) へと延伸。 市民の足として親しまれていた。
しかし、 自動車が増えるにつれて交通混雑を招き、 黒潮国体を機に廃止された。 車両はほとんどが魚礁として海に沈められ、 市内や海南市内で集会所として利用されていた車両ももうない。 和歌山城隣の岡公園に保存されている車両が唯一現存するものという。
廃止の時に6歳だった松浦さんは、 電車の停留所に設置されていた鉄製の路線図が道に裏返しに落ちているのに気づいて拾い、 今まで大切に保管してきた。 路線図はかなりさびているが、 昭和43年の改称に合わせ 「国鉄東和歌山駅前」 の電停名を 「和歌山駅前」 と手書きで直した跡や、 今はない 「野上電車前」 も見える。 「思い出はたくさんあります。 情緒がありました」 と松浦さん。
妹背山三断橋の補修にも使われているという話もあるが、 確かなことは分からない。 電車が走っていた記憶さえ薄れていく昨今、 松浦さんは 「利用場所をご存じの方は教えていただきたい」 と話している。(情報はわかやま新報まで)



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