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北山清太郎が出版した美術雑誌を手に 「頑張りたい」 と話す宮本さん
東京の自宅でアニメ原画製作中の北山清太郎(写真は県立近代美術館提供)
日本のアニメーションの草分けとして注目されている和歌山市出身の北山清太郎は、明治末から大正初期の日本美術界で重要な役割を果たしていた。 県立近代美術館(和歌山市吹上)の学芸員、宮本久宣さん(34)の研究テーマがこのほど、 全国の美術館連絡協議会 「美術館活動助成事業」に選ばれた。 宮本さんは、 「研究を進めて展覧会を開き、 和歌山にこういう方がいたことを皆さんに知ってもらいたい。もし、 北山さんに関する情報や資料をお持ちでしたら教えていただきたい」 と話している。
美術館連絡協議会は、 全国の公立美術館が活動活性化のために昭和57年に設立。現在122館が加盟し、 今年度は全国から3件の助成事業を選んだ。
北山清太郎(1888-1945)は現在の小松原通5丁目付近で生まれ、 住吉尋常小学校を卒業。 10歳で大阪に移り、 その後東京で暮らした。墓は今も和歌山市内にあるという。 アニメを制作し始めたのは大正6年ごろ。 主に「兎と亀」などの昔話を作り、 映像の仕事を続けたが、もともと美術への関心が高く、 大阪に住んでいたころから水彩画と油彩画を描いていた。
注目すべきは、 北山が美術雑誌 『現代の洋画』(後の『現代の美術』)や画集を編集出版し、 大正初期にゴッホやミレーをはじめとする洋画家を日本に紹介していたことや、 展覧会開催などで洋画家たちを支援していたこと。
そんな北山の歴史について調べている宮本さんは、 「岸田劉生も北山の支援を受けた1人でした。 また、 北山は東京から画家を招いて和歌山で絵画講習会を開き、 川口軌外が 『その時に初めて絵を描いた』 と語っています」 と話す。
宮本さんは2年前から東京や神戸にいる北山の遺族を訪ねるなど調査を進めているが、 北山が関わった美術雑誌はほかにもあり、資料集めを含めて本格的研究はこれから。 「北山さんが美術界に果たした業績を整理検証し、 大正初期の美術動向を探りたい」 と話している。
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