2008年06月22日

2008 04.文化・くらし

川合小梅の墓、再建立 28日、菩提寺の妙宣寺で

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再建立され、後は除幕を待つだけとなった墓(左から小梅、梅所、春川)と蘆田住職

『小梅日記』 で知られる川合小梅(1804 - 89)の120回忌法要と、再建立された墓の開眼供養が28日、菩提寺である和歌山市新堀東の妙宣寺で行われる。蘆田恵岳住職(70)は、「小梅さんの素晴らしさをこの機会に多くの方に知っていただきたい」 と話している。

川合家代々の菩提を弔ってきた同寺は、 『小梅日記』 の中にも度々登場し、過去帳では、少なくとも1766年の小梅の曾祖父の法名までたどれるという。
また、小梅のひ孫で『小梅日記』 の発見者である故志賀裕春さんは、日記に登場する人名や戒名について蘆田住職によく質問し、村田静子さんと校訂した『小梅日記』 が平凡社から刊行された約30年前に、志賀さんが同寺で 「上梓報告記念法要」を行っている。
しかし、川合家直系の子孫は戦後すぐ、志賀さんの子孫も裕春さんの死後遠方に移り、その後は同寺が墓所を管理してきた。
今回、再建立したのは、小梅の祖父で紀州藩の儒学者だった川合春川と、藩校学習館校長だった夫・川合梅所、小梅の3人の墓。墓石はそのままに台石を新しくし、それぞれの墓の前には解説を刻んだ本型の石を据えている。
小梅の素晴らしさについて蘆田住職は、 「たくさんありますが、先祖を大切にし、夫婦仲も良く、子どもやお嫁さんを気遣い、必死で孫を看病し、近所付き合いや親戚付き合いもきちんとしていたこと」とし、和歌山刑務所の教戒師として、以前から受刑者に小梅の心を紹介してきたという。
また、祖父の墓石には 「春川先生之墓」 、夫のには 「梅所川合先生之墓」 と彫られていることも、 「いかに2人が弟子に慕われていたかも分かる。ぜひこの機会に小梅を知って、できたら日記を読んでもらいたい」 と話している。
法要は午前10時から11時。 『小梅日記』 原本(県立図書館蔵と片山明氏蔵)や、小梅筆 「牡丹図」 と雑賀紀光筆 「川合小梅像」 (聖天宮法輪寺蔵)なども展示される。





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