2010年01月03日

05.紀の川・岩出・海南・紀美野

さよなら大成高校【新年号2部11面】


地域に守られ未来へ
県立大成高校

紀美野町動木の県立大成高校(石本全孝校長、生徒230人)がこの春、3年生77人の卒業をもって85年の歴史に幕を下ろし、海南高校と完全統合して新たなスタートを切る。少子化や志願者の減少に伴い、一時は廃校の危機にあったが、地域の強い要望で「海南高校大成校舎」と校名を変えての存続が決まった。大成の歴史や伝統は未来へと引き継がれてゆく。

同校は大正13年4月、現在の野上第一保育所の敷地に「野上実践女学校」として設立された。昭和17年に「野上高等女学校」と改名した後、同23年に現在の大成高校になった。校名の「大成」には、初めは小さくとも将来発展して「大きく成れ」という願いが込められており、中国の老子の言葉「大器晩成」に由来している。

校舎は当初、野上高等女学校時代の木造校舎をそのまま使用していたが、昭和40年に新校舎の本館が完成。その後4年かけて、現在の校舎がすべて完成した。完成記念式典は本館の屋上で行われたという。その後は文武両道の学校として、映画監督やプロ野球選手など優秀な人材を輩出していった。



伝統は「海南高校大成校舎」へ

平成6年に地元の野上電鉄が廃線となったことや、町外へ転出する家庭の増加などにより、志願者は徐々に減少。そのことを受けて県教委は同16年、海南高校との統合計画(県立高校再編整備計画案)を発表した。計画に対し、PTAらが白紙撤回を求めて県議会への請願や署名活動を展開。「大成高校を存続させる会」も発足し、県教委に学校の存続を強く訴えた。当時、会員や生徒、教職員らが作った「残そう大成高校」という看板は、今も地域のあちこちで見ることができる。


85年の歴史に幕

そして同19年、ついに海南高校の分校舎としての存続が決定。20年4月7日には統合式が行われ、大成校舎には1期生80人が入学した。現在は海南高校の1、2年生と、大成高校の3年生が同じ校舎で学ぶ先輩・後輩として、ともに学園生活を送っている。教職員たちも「地域に残していただいた大成高校を、生徒が誇りを持てるいい学校にしていきたい」と、校内緑化や図書館の地域開放など、さまざまな計画を進めている。校名や制服が変わろうとも、地域からは「大成高校」としてこれからも親しまれていくだろう。


さよなら大成高校





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