2010年02月10日

04.文化・くらし

生の人間が語る生の歴史、上野裕史さん

上野裕史さん

「一番の楽しみは皆さんにお会いできることです」

座右の銘は和を以て尊しとなす。 出す年賀状は400枚。 「人は絶対に一人では生きていけません、 人と人との良いつながりが大切。 そして続けることも」 ときっぱりと話す。

そんな姿勢が二つの活動の原動力なのだろうか。 今代表を務める 「南葵史談会」 に入って50年。 出身の番丁国民学校、 河北中学校、 桐蔭高校、 和歌山大学のクラス会・同期会の世話を長年続け、 ことしは最初の河北中クラス会幹事から60年になる。

「人には血縁と地縁と (学校時代の) 校縁、 (就職してからの) 職縁があると思う。 校縁の良さは、 平等に昔の学校時代に戻り、 気取らずに本音で話し合い励まし合えること。 人生経験は皆違います。 50人いたら50の話が聞ける。 勉強になり、 ありがたいです」。

幹事や世話役ならではの苦労は多いが、 一番は全員の現住所や連絡先を調べての名簿作りという。 特に番丁国民学校は大変だった。 同校は昭和20年7月9日の空襲で焼失。 同級生は散り散りになり、 同校での卒業式は幻となった。 だから最初のクラス会準備は、 クラス写真を元に名前を調べるところから。 消息不明者はもちろん、 今も名前すら分からない人もいる。

「でも、 集まった皆さんに喜んでいただけることが何よりうれしい」とほほ笑む。

もう一つの活動の柱「南葵史談会」 は、 歴史好きな人たちが郷土の歴史について、 自分たちが調べたこと、 知っていることを互いに語り合い、 聞き合い、 その研究記録を県立図書館に残していく会。 昭和50年度県文化奨励賞を受賞した。

さまざまな会員がブームになる前の熊野九十九王子や華岡青洲、 小梅日記、 さらに扇子とうちわ、 和歌山の干物など多彩なテーマで発表。 月例会は、 年1回の現地見学も含め615回を数える。

入会は会発足の翌年、 小学校教諭になってまもない昭和34年。 床屋のラジオがきっかけだった。 以来、 自転車で和歌山市内全域、 数百の社寺を全部回って研究し、 岩出や貴志川も含めその成果を30回発表。 今はきのくにの国宝をテーマにする。

「郷土史研究はライフワークです。 これからも、 会の何でも話せる和やかな雰囲気を大切にしたい。 そして、若い人に入ってもらいたいですね」。

生の人間が語る生の歴史への思いは尽きない。

(千)





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