|
|
大広間にある秋山好古揮毫の 「静者安」 |
2月22日に、 庭園が国指定名勝に指定された海南市船尾の琴ノ浦温山荘園。 ニッタグループの創業者・新田長次郎 (1857~1936) が造らせ晩年を過ごしたこの地に、 わが国騎兵の父と仰がれた陸軍将軍・秋山好古 (1859~1930) が度々訪れていたことはあまり知られていない。 長次郎と好古は実は無二の親友。 温山荘に残る2人の足跡とその人柄を紹介する。
秋山好古 (よしふる) といえば、 司馬遼太郎が 『坂の上の雲』 に描いた秋山兄弟の兄=弟は真之 (さねゆき) =として有名。 昨年末のNHKテレビでは阿部寛が演じて注目を浴びた。
フランス留学で騎兵の重要性を感じ、 帰国後は騎兵の創設に尽力。 日露戦争では騎兵第一旅団長として、 特に奉天大会戦で大活躍した。 現役を退いた翌年には、 請われて郷里松山の北予中学校長に就任。 在職6年3カ月の間、 欠勤も遅刻もなく、 また、 怒った顔も見せず、 叱られた生徒は一人もいなかったため、 全国教育界の名物となり模範となったという。
そんな好古と長次郎が初めて会ったのは明治30年、 大阪の旅館でだった。
ともに愛媛県松山生まれの2人は、 同郷出身ということで意気投合。 交際は好古が死去する昭和5年11月まで30年以上続いた。 温山荘では布団を並べて夜通し語り合っていたという。 また好古は、 長次郎の会社の社員への講話や、 関東大震災時の支援協力も行っている。
そんな2人の交友を示す扁額が、 広大な庭に面した同園主屋の24畳の大広間に掲げられている。 好古が揮毫(きごう) したもので、 「静者安」 と書かれている。 「剛毅ぼくとつで知られる好古ですが、 字は非常に柔らかい」 と同園の阪井新二園長。
主屋には、 長次郎と家族、 好古が一緒に写った写真も展示されている。 では新田長次郎とは、 どんな人物だったのだろうか(次回に続く)。
昭和5年5月、 温山荘園でくつろぐ長次郎左と好古
|
04.文化・くらし - 同カテゴリの記事
|