2010年03月11日

04.文化・くらし

国指定名勝「琴ノ浦温山荘園」②、発明家・事業家の新田長次郎

新田長次郎 (1857~1936)

新田長次郎

ことし2月22日に庭園が国名勝に指定された海南市船尾の温山荘園。 同園を作らせたのは、 皮革界のエジソンと称された発明家・事業家の新田長次郎 (1857~1936) =写真=だ。 教育振興など社会貢献にも力を入れ、 協同・円満慢心の排除を重視したという長次郎翁を紹介する。

愛媛県松山に生まれ、 16歳の時に福沢諭吉の 「学問のすすめ」 に感動。 20歳の時に大志を抱いて大阪に出た。 長次郎といえば動力伝達用革ベルトの発明だが、 製革事業に乗り出すきっかけは、 紀州藩のお雇いドイツ人技師ハイド・ケンペルの言葉、 「西洋では製革事業は製鉄事業と共に最も文明的な事業」 だったという。

洋式製革技術を徹底的に研鑽修得した長次郎は、 27歳で独立 (現在のニッタ株式会社の前身)。 明治21年に日本初の動力伝達用革ベルトを製作し、 その後多くの発明・改良を経て、 世界三大革ベルトメーカーに成長させた。 さらに、 ゴムベルトやにかわ、 ゼラチン、 ベニヤ板などの製造にも進出。 現在の新田ゴム工業(株)、 新田ゼラチン(株)、 (株)ニッタクスの基礎を築いた。

事業に成功しただけではない。 帝国発明協会に多額の寄付を行ったほか、 教育を通じて社会に貢献したいと、 故郷の要望に応えて松山高等商業学校 (現・松山大学) 創立に寄与。 大阪市に有隣尋常小学校を開校し、 その後同市にすべてを寄贈している。

自身の健康回復のために作った温山荘園も、 従業員の慰労会などに使い、 後には一般に開放。 大勢の遊覧客が訪れた。 さらに、 所有していた北海道十勝の農場を、 農地改革が行われる以前から順次小作農に開放。 小作争議は皆無だったという。

前回、 秋山好古とは無二の親友だったと紹介したが、 互いの立志と社会貢献、 教育・人間重視の思いに共鳴していたのだろうか。

長次郎没後に設立された琴ノ浦温山荘園は、 国内五指に数えられた最大時5万坪の敷地の一部を、 戦後道路用地として供出。 残りの4分の1も、 県と海南市に無償使用を許可している (県立自然博物館やプールなどのため)。 長次郎翁の志は今も受け継がれているようだ。

東郷平八郎の書
温山荘の名付け親、東郷平八郎の書右。左は桂太郎の書(母屋大広間)





この記事と関連がありそうな過去の記事

powered by weblio


04.文化・くらし - 同カテゴリの記事






カテゴリー
社会
事件・事故
政治・経済
スポーツ
文化・くらし
紀の川・岩出・海南・紀美野

これまでの特集
月別アーカイブ
株式会社 和歌山新報社
cypress.gif