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制作中の作品右は先日訪れたミコノス島。 奥はことしの青甲会出品作 「プラハの橋」 P80 (自宅アトリエで) |
10日間のヨーロッパ旅行から帰ってすぐ、 「書の友」 の表紙4枚を書き上げ、 25日から始まる第21回Uの会展賛助出品のため、 訪れたミコノス島の油彩画に取り組む。 さらに、 お孫さんと映画 「借りぐらしのアリエッティ」 を見に行くなど、 フル回転で仕事と生活を楽しむ。
元気の秘訣 (ひけつ) は、 父親譲りという旺盛な好奇心と、 落語好きならではのしゃれっ気。 そして、 子どものころからの夢だった大好きな絵を描き続けていること。
しかし10代は戦争の時代。 画家になるのはあきらめていた。 それでも、 海軍関係の面接で 「好きな教科は美術。 嫌いな教科は体育と教練」 と答えた大胆な逸話も。 結局、 美術への強い思いが引き寄せたのか、 偶然募集を目にした京都市立美術専門学校 (現・京都市立芸術大学美術学部) に入った。
美術好きは血筋という。 日本画家になりたかった父は、 毎年文展を見に京都に連れて行ってくれた。 漆の塗師だった祖父、 蒔絵や沈金に携わっていた伯父たちからは職人かたぎを受け継ぎ、 多趣味な母方の叔父からは、 アメリカ映画やオペラなど洋楽の楽しさを教えてもらった。 若くして戦病死したが、 科学的合理性と風刺の精神を持っていた叔父だった。
ハイレベルの美術教育をしてくれた尋常小学校4~6年担当の先生と、 旧制中学校の美術クラブの先生の影響も大きい。 「裕福でなかったけど環境に恵まれていた。 大人になってからも絵の仲間に恵まれ、 先輩にかわいがられた。 ありがたい」 と振り返る。
公立中学・高校の美術教諭を34年勤めた後、 さまざまな絵画教室を指導。 22年になるUの会講師のほか、 近鉄カルチャーセンター講師、 「書の友」 (県書道教育連盟発行) 表紙を毎月4枚ずつ描く仕事も続ける。 2年前までは県美術家協会副会長、 現在、 若いころ仲間と追いつけ追い越せと目標にした、 歴史ある和歌山の画家集団 「青甲会」 の代表も務める。
運命を決めた絵がある。 15歳の時に見た杉本健吉の油彩画《博物館中央》。 「今見ると割に荒っぽい絵ですが、 空気を感じた。 館内のひんやりした空気とか、 ガラスの透明な感じとか。 油絵はこんなのを表現できるんだ。 油絵を描きたいと思った」。
「だから、 絵を見て 『そよ風を感じる』 とか言ってもらえたらうれしいし、 単純化した強い絵を描きたい。 そう、 死ぬまで描き続けますよ。 まずは5年後の米寿展を目指します」。 (千)
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