「志願でなく命令」 元特攻隊の花道さん

「日中両国平和の塔」が建つ海南市日方の燦々公園では第45回日中不再戦の集い(日中友好協会県連合会など主催)が開かれ、旧日本軍で特攻に出撃し、生還した日高町在住の花道柳太郎(りゅうたろう)さん(90)が戦争に対する痛切な思いを語った。

花道さんは14歳の時に岐阜県の飛行機整備学校に入り、20歳となった昭和20年2月に陸軍飛行第62戦隊に配属。同年5月25日、福岡県の飛行場で沖縄への特攻出撃を命じられたが、悪天候のため敵艦を発見できず、燃料を使い果たして鹿児島の飛行場に不時着した。再び出撃しようとしたが、部下を死なせたくない上官に引き止められ、生き残った。

経験を話す中で花道さんは、搭乗した800㌔爆弾2発を内蔵した機体「ト号機」の仕組みを説明した他、「特攻隊は志願と言われているが、命令だった」「死にたくないと誰もが思っていた」などと、当時の心情を明かした。

また、「特攻隊は出て行ったら絶対に戻って来たらあかんかった」として、戦後も特攻隊員だったことを隠して暮らしてきたことも語り、「戦争は絶対にしたらいかん」と力を込めた。

日中不再戦の集いには同連合会、日中友好協会海南支部のメンバーや地域住民ら約30人が集まった。一人ひとり塔に献水をするなどして平和への思いを新たにした。

戦争当時を振り返る花道さん㊨

戦争当時を振り返る花道さん㊨

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