世界挑戦のものづくり ノーリツ星野社長

写真処理機器の開発・製造・販売を手掛けるノーリツプレシジョン㈱(和歌山市梅原)は、世界がその独自技術を認め、売り上げの75%を海外市場によるものが占める。和歌山を代表するものづくり企業だったノーリツ鋼機から事業を継承し、新たな展開を図ろうとするノーリツプレシジョンの課題と展望について、3月に社長に就任した経営コンサルタントの星野達也氏(45)に聞いた。

前身のノーリツ鋼機は昭和26年、創業者・西本貫一が写真印画自動水洗機を発明し、写真処理機の基礎を築いた。51年、世界で初めて撮影した写真を1時間で現像できるシステム「ミニラボQSS―1型」を開発。平成9年には東証1部上場を果たしたが、デジタルカメラの普及とともに業績は伸び悩んだ。

23年に会社が分割され、ものづくり事業を継承したNKワークス㈱は28年にノーリツプレシジョンに改称した。現在は出力機器、画像補正、画像解析などの技術を駆使した「イメージング事業」、画像解析などの技術を応用した「医療・介護機器事業」、顧客のニーズに応じる「開発・製造受託」の三つの事業領域でビジネスを展開し、海外180カ国に顧客を持つ。

星野社長は昨年8月に入社し、ノーリツプレシジョンの経営に参画してまだ1年。ノーリツ鋼機以来の社の歴史を「とても面白い」と語り、目を輝かせる。一写真屋が一代で約900億円を売り上げたにもかかわらず、その後は売り上げが最盛期の約10分の1、利益が100分の1まで落ち込んでしまうという、浮き沈みの激しい経過をたどった。それでもなお社が存続しているのは、「世界で戦える、著しく素晴らしい機械技術があるから」。

同社の技術を支えている社員については「真面目で素直で飾らない性格の人が多い」と評価し、その気質にふれたことから、社長として社を牽引していく覚悟を決めたという。

ノーリツ鋼機時代からの事業縮小に伴い、新製品開発の経験があるエンジニアが極端に減っていたにもかかわらず、28年9月には、ドイツで開かれた世界最大級の映像機材見本市「フォトキナ」に6年ぶりに出展し、新製品のインクジェットプリンターやクラウド写真システムを披露。「撤退する企業はあっても戻ってくる企業はない。蓄積したものづくりの力があるから業界を驚かすことができた」と星野社長は力を込める。

副社長として入社した際に星野氏が強く感じたのは、本社と海外支社との関係性が薄いこと。社員の技術力は高いものの、交渉力や英語力が不足していると分析し、海外の子会社を訪問しては「私が窓口になるので、何でも言ってほしい」と話した。
社員は「むやみに自信を喪失し、学ぶ機会に飢えている」ように見えた。星野社長は社員と同じ制服を身に着け、自社の技術力の高さに誇りを持つよう社員に説き、全社員が一堂に会する4半期に1度の朝礼では、「前を向き、胸を張りましょう」と必ず呼び掛ける。

自らが感銘を受けた組織や人材論の書籍の感想を記し、メールで約200人の全社員に送り、社員が書籍を手に取れるよう「ノーリツ文庫」を設置した。価値的な読書を促すことも、社員の意識改革の一環だ。

星野社長は1カ月のうちの3分の2は和歌山に滞在することを心掛けており、海外の子会社のスタッフを和歌山に招いては戦略のディスカッションを行い、和歌山の酒や特産品でもてなす。

発酵の進んだ「なれ寿司」が好物という星野社長は栃木県出身。「海も山もない場所で育っただけに、和歌山はドライブしていてとても楽しい」と、経営者として戦う舞台に選んだ地域の魅力にも顔をほころばせる。

グローバルに戦えるだけの「ノーリツブランド」と、世界に広がるネットワークが自社にはあると確信を持つ星野社長。「安定した利益を出し、社員が安心して働ける会社にするため、やるべきことを全てやる」と発展を期している。

グローバルに展望を語る星野社長

グローバルに展望を語る星野社長

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