修験の精神世界に 加太で日本遺産の認定祝う

日本遺産「『葛城修験』―里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」が認定された19日、和歌山県和歌山市加太の阿字ヶ峰行者堂で記念式が行われ、地元住民ら約60人が認定を喜び合った。今後、地域の各団体や市などが連携し、歴史・文化を守り、生かした地域おこしの活動をさらに活発化させる。

加太は、沖に浮かぶ虎島(友ヶ島の一つ)に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚「葛城二十八宿」の第一「序品窟(じょほんくつ)」があり、葛城修験の修行の道が始まる地。加太春日神社、同神社の「えび祭り」、北ノ浜で行われる「採燈大護摩供(だいごまく)」など、地域内にあるゆかりの場所や儀礼が日本遺産の構成文化財となっている。

また、1300年に及ぶといわれる修験道の歴史において、修験者を迎え、宿泊させるなどの接待を行う「迎之坊」の役割を担ってきた向井家には、古文書など関連資料が残され、修験者たちの修行が地域の人々の信仰や生活と密接に関わってきた歴史を現在に伝えている。

明治時代初期の廃仏毀釈(はいぶつききゃく)や修験宗廃止令により修験道は衰退し、葛城修験の各地においても、修験者をもてなしてきた宿などの多くが廃業となり、経塚や修行の場も荒れ果てていく時代が続いた。

加太でも春の護摩供が途絶えた状況が20年以上続いたが、2013年ごろから復興の動きが活発化し、加太浦大護摩供顕彰会を立ち上げ、15年に「採燈大護摩供」を復活させた。

同会の藤井保夫会長は「記録上、遅くとも平安時代後期には加太で修験が行われており、非常に重い歴史がある。復活させ、再認識していこうという思いだった」と振り返り、日本遺産認定を受け、「思いを新たに関係団体と連携を深め、修験の精神を守り続け、世界に発信する使命があると思っている」と話す。

認定記念式が行われた阿字ヶ峰行者堂は、序品窟がある虎島を望む小高い丘の上に建っている。

地元自治会や観光協会、加太中学校の生徒らが集まり、尾花正啓市長、井上直樹市議会議長らも駆け付け、くす玉を開いて認定を祝った。

加太地域活性化協議会の尾家賢司会長は「準備段階から頑張ってきた。認定には地元として二重、三重の喜びがある。歴史の重さ、責任の重さを感じながら、伝統を守っていきたい」と喜んだ。

加太観光協会の稲野雅則会長は、葛城修験の認定により、和歌山市から橋本市にかけての紀北地域全体が同じ方向性で観光や地域活性化、郷土愛の育成に取り組めるようになると期待し、「1000年以上続く歴史がこの地域にはあり、認定は経済も人も育てる効果がある。盛り上げていきたい」と話していた。

くす玉を開いて日本遺産認定を祝う出席者

くす玉を開いて日本遺産認定を祝う出席者

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