那賀高校創立100周年 伝統を未来へ

那賀高校創立100周年

 

23日 未来に向けて記念式典

 

100周年記念で生徒がグラウンドに描いた人文字(㈱プラトン松下尚一代表提供)

100周年記念で生徒がグラウンドに描いた人文字(㈱プラトン松下尚一代表提供)

県立那賀高校(岩出市高塚)はことし、創立100周年を迎えた。地域が誇る名門校として、県内外の各分野で活躍する3万2000人以上の卒業生を輩出。23日には記念式典が予定され、卒業生、現役生、教職員ら約1000人が集い、一世紀にわたる母校の歴史を振り返り、心新たに未来への歩みを開始する。

同校は1922年(大正11)、県立那賀農業学校として創立され、学制改革に伴い、48年(昭和23)4月に県立那賀高等学校となった。

当初は農業科などを設置し、現在は普通科、国際科の2学科がある。農業をはじめとする産業や地域の発展に寄与する多くの人材を送り出し、プロ野球選手、アナウンサー、オリンピック選手など、卒業生が活躍する分野はますます広がりを見せている。

創立100周年を迎えるにあたり、2019年に同窓会、教職員、育友会、国際交流会などで構成する記念事業実行委員会(志賀俊之委員長)を立ち上げ、記念誌の作成、記念講演会の開催など、さまざまな事業を展開してきた。

母校の教育環境整備を支援するため、ふるさと納税を活用して寄付を募り、部室棟の改築事業なども進めている。

先月には、全校生徒約830人がグラウンドに「NAGA100」の人文字をつくり、上空からドローンで撮影した。

記念式典は23日午後1時半から、同校体育館で行い、会場、リモートを含めた参加者で盛大に祝う。式典に続き、岩出市出身の元体操日本代表、田中理恵さんによる記念講演、トークセッションも予定されている。

 


 

「できると思い、やり切る」ハンド日本代表の𠮷田選手

 

ポーランドリーグで活躍する𠮷田選手(本人提供)

ポーランドリーグで活躍する𠮷田選手(本人提供)

活躍する那賀高校卒業生の一人、東京五輪ハンドボール日本代表でポーランドのクラブチームに所属する𠮷田守一(しゅいち)選手(21)に、100周年を記念して、高校時代の思い出や母校への思いを聞いた。

𠮷田選手がハンドボールを始めたのは、高校入学後の15歳の時。それまでは空手、バスケットボールに打ち込んだが、紀の川市立貴志川中学校の同級生5人がハンドボール部に入部したことに触発され、「全国で自分の腕を試したい」と、思い切って転身した。

1㍍90㌢の長身を生かし、才能はたちまち開花。2年生で全国大会出場を果たした。監督の松尾伸司教諭の練習は厳しく、叱られることも多かったが、「親身になって、生徒の話をしっかり聞いてくれる先生でした」と懐かしむ。

那賀高で学んだことの一つは、「気持ちの切り替え」の大切さ。ハンドボールに打ち込みながらも、そのことばかり考えるのではなく、息抜きをする時間をつくり、気持ちを整理したという。

高校時代の主な息抜きスポットは、岩出市内の入浴施設のサウナ。今は、ポーランドでのオフの時間に、チームメートと一緒に遊園地の絶叫マシンに乗り、疲れやストレスを発散している。

これまでの競技生活で最も印象深いのは、2021年の東京五輪1次リーグで強豪ポルトガルに31―30で競り勝ったこと。男子日本代表にとって五輪での33年ぶりの歴史的勝利だった。

一生に一度出られるかどうかの大舞台で、「勝ちたいという気持ちがいつも以上に出た」試合。1次リーグ突破はならず、悔しさも残る大会だったが、「今後に向けて自信になった」と振り返る。

20年2月に加入したポーランドリーグのタルヌフでは、攻撃の起点となる重要なポジション「ポスト」でレギュラーを獲得。着実に実績を積んでいる。

加入3年目を迎えたことし2月、隣国ウクライナにロシア軍が侵略を開始。チームメートの一人がウクライナまで仲間を車で迎えに行き、避難させるなど、戦争が身近に迫る日々となった。

ウクライナリーグで活動していた選手がドイツに移籍を強いられる様子も目の当たりにした。それでも、前を向いてプレーする選手たちの姿に、「どんな状況でも全力でプレーすることの大切さを教えられた」。

創立100周年を迎えた母校の後輩たちへのメッセージを求めると、「大切なことは、置かれた環境でできることを考え、しっかり目標を立てること」とし、「できると思い込んでやり切れば、将来の役に立ってくれる」とエールを送った。

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