日中国交正常化50周年 ~世界平和を願った先人の労苦を想う~

二階 俊博

日中関係は、9月29日に国交正常化50周年を迎えました。夫婦であれば金婚式、孔子曰く「天命を知る」年であり、大きな節目です。そして、人生や夫婦関係と同様に、この50年、日中関係が歩んできた道のりも、必ずしも常に順風満帆というわけではありませんでした。
体制の異なる隣国です。様々な懸案や意見の違いがあるのはごく自然なことであり、ゆえに日中関係は、双方の努力なくして安定し得ない「脆さ」を常にはらんできました。いまだに「日中友好」を声高に唱えざるを得ないのは、50年経っても日中関係が成熟していない証左とも言えます。
日本国民の対中感情は、80年代は現在とは比較にならないほど良好でした。世論調査を開始した78年から80年代にかけて、対中好感度は7割前後で対米関係とほぼ同じ。中国もまた、改革開放のまっただ中で、良い意味で謙虚さが残っていました。当時も政治的に様々な問題はあったが、こうした良好な国民感情を基礎にして、日中関係をマネージすることができていたと思います。
その後、両国の国際社会での立ち位置が大きく変わり、日中関係も変質しました。2010年に日中両国のGDPは逆転し、中国のGDPは本年末に日本の4倍を超えました。この10年の対中好感度は1~2割程度にすぎず、新型コロナウイルスの影響で日中間の往来や交流はなくなり、相互不信の連鎖に陥っています。私は、いかなる懸案や意見の相違があったとしても、体制の異なる隣国同士だからこそ、交流や対話を決して途絶えさせてはならないと考えます。
私の「政治の師」である田中角栄先生は「政治は言葉をいくら並べても意味はない、実行が大切である」と教えてくださいました。まさに50年前、日本国内で反対の声が強まる中で、歴史的な日中国交正常化が成し遂げられたのは、文字どおり、田中先生の決断力と実行力があったからです。
私もその精神を学び、子や孫の世代のため、どれだけ政治的リスクがあっても、有言実行で日中関係に取り組んでまいりました。簡単なことではありません。
田中先生の基本は、常に相手の立場に立って物事を考えようという、極めて単純な考え方でした。しかし、外交の舞台において、その姿勢が、どの国との関係でも、相手の心をつかんで離さなかったと感じます。
私は、1976年、まだ県議会議員であった頃、当時の仮谷知事率いる訪問団の一員として初めて訪中しました。それ以来、これまでに何度も訪中し、中国から訪日された方々ともお会いし、中国との交流を深めてきました。植林活動や防災協力、また、それらを通じた青少年交流にも尽力してきました。中国の友人との信頼関係は、こうした積み重ねの上に培われてきたものであり、だからこそ今、中国に対してしっかり話ができると感じています。きっかけを与えてくださった当時の諸先輩方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
国と国との関係は、突き詰めれば、人と人との関係であり、そこに心の底からの信頼関係がなければ、共に発展することは考えられません。今こそ、両国の指導者間で緊密な意思疎通を行い、両国国民に大きな指針を示すことが強く求められています。
「民(たみ)を貴しと為し、社稷これに次ぐ」。これは、老子の教えであります。政治は、国民第一で進められなければならないことは言うまでもありません。そして、これを日中関係で約束できるのは、両国の最高指導者しかいません。日中両国が共に世界平和と繁栄に貢献していくには、50年前のように両国指導者が戦略的思考と政治的勇気を持って対話を重ね、今後の道標となるような未来ビジョンを打ち出していくことが重要です。そのために、岸田総理と習主席の間でも頻繁に対話を重ねてもらいたいと願います。
50年前の先人の労苦を想えば、乗り越えられない壁は無いと信じます。世界平和と繁栄のために、全力を尽くしてまいります。

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