挑戦者が賞賛される社会を 在職25年の感謝と使命

鶴保 庸介

おもはゆいことですが、2月7日、在職25年の永年勤続表彰をいただきました。
以下はその際にも申し上げた謝辞ですが、ここに再掲します。
(一部加筆訂正)
私の政治家としてのスタートは、父の関係で知己を得た、ある国際政治学者との出会いに始まります。氏は小学生の頃の私に「今のままでは日本は滅ぶかもしれない。志をたて、努力しなさい」と、繰り返し諭されました。
当時の私は、戦後復興に情熱を傾けた世代のこの強烈な危機感に興味を持つ程度で、何ら負うところなく過ごしてきた普通の子どもでしたが、氏が死の間際、周囲の人に『後進に我が志を継げ』という意味の伝言をされていたと聞き、命がけで国を思う気持ちに感銘を受けて、96年10月の第41回衆議院選挙への出馬を決意した経緯(いきさつ)があります。
その選挙では見事に落選しましたが、地元有権者の暖かい励ましをいただき、2年弱の浪人生活を経た、第18回参議院選挙に当選することができました。
以来、25年、幸運にも私は、さまざまな出会いに恵まれ、たくさんの政策に携わらせていただくことができたように思います。
ETCを使用した高速料金の弾力化。地方の建設会社支援策。災害協定の見直し。ネティス登録の迅速化。中古住宅市場の活性化、空き家対策、また、IWC脱退。鳥獣被害対策。ジビエ活用策。新技術の社会実装を目指したSBIR制度など、スタートアップ支援策、ドローン登録制度などにも取り組んでまいりました。
振り返れば、いまだ道半ばと言わざるを得ないものもありますが、都度都度、問題提起をし、それを支えてくれた仲間の力によって、思い出せないほど多くの政策を立案、関与させていただきました。
その中でも、観光は最も長く携わってきた分野の一つです。
今では想像しにくいことではありますが、観光庁が立ち上がる前の党調査会事務局長としての私の役割は出席する議員の数の確保でありました。
観光庁が立ち上がってからも、インバウンド1000万人の壁を超えるために奔走した毎日。
成田に1000万人目のインバウンド客が入国した時、関係者と苦労話を共有できたことは今も私の誇りとするところです。
そして、その経済効果をより深化させようと、のちの爆買いにつながる免税の対象品目を広げる作業、民泊制度の基礎を作り、イベント民泊で地方創生につなげようとしてきたことなどは、つらいことも多かったですが、私を確かに成長させてくれました。
また、参議院としても厚生労働委員長、決算委員長、議院運営委員長等、多くの役職を戴いてまいりました。特に、決算委員長時代には決算提出日を早めるために会計検査院を視察(極めて稀)したことや、議院運営委員長時代には二度目のこども国会を開催(1度目は中曽根院長時代)し、東日本大震災の後、超党派で震災関連の写真展を議員会館通路で開催させていただいたこと(与野党合意が得られずその後一度もそのようなイベント開催はなされていません)は、各会派と参議院職員の皆さんのご協力なしにはできませんでした。あらためて感謝を申し上げたいと思います。
社会は変えられる。このことを、強く信じてきた四半世紀でありました。
しかしそれには、多くの人の支えと協力があって結果につながるものであること。提言をするだけではなく、その運用にまで自ら責任を負うこと。これまで思い知らされてきたことであります。
そして、今日複雑極まる国際情勢にあって、技術的にも経済的にも強い国であらねばなりません。しかも、結果はすぐにでも求められています。
そのためには、日本国全体が失敗を恐れず挑戦を繰り返す、そして、結果のみで判断せず、挑戦した者こそが賞賛される。そんな社会でなくてはならないと思います。
私は、2月5日で56歳になりました。思えば若くして当選させていただいたものだと、危うさを感じることもなかったわけではありませんでしたが、だからこそ、生ある限り頂いたご縁に感謝をしつつ、自らの使命を自覚して今後も努力をさせていただく所存です。

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