和歌山で大きな観光の花を 地域、経済の発展にチャンス

門 博文

「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」
神亀元年(724)、山部赤人が聖武天皇の紀伊行幸にお供した折、和歌浦の息を飲むような美しい景色を讃えて詠んだ作品です。私も改めて奠供山(てんぐやま)から眺めましたが、現在でも素晴らしい景色ですが建物が無かった当時はより素晴らしいパノラマビューが広がっていたんだろうと思います。海の無い奈良の都からはるばる訪れた旅人には特に垂涎の風景であったと思います。
この和歌に象徴されるようにまさに和歌の浦は「絶景の宝庫」として平成29年度に日本遺産として認定されました。また昨年は元号が「令和」と改まりその出典が万葉集にあったということで万葉集や和歌に注目が集まりましたが、それに合わせてここ和歌の浦も万葉のふるさととして注目を集めることとなりました。特に和歌の神様といわれる衣通姫尊(そとおりひめのみこと)をお祀りする玉津島神社へは、関西圏を中心に多くの観光客がこれを機に訪れるようになりました。またこれに関連して片男波にある万葉館もにぎわいを呈しているということです。このように日本遺産認定、新元号をきっかけとして地域の観光振興が図られるのは非常にうれしく、ありがたいことです。他の要素とも組み合わせ更なる効果の拡大を図っていければと楽しみにしております。
その中で来たる令和3年、紀州東照宮が創建400年を、続いて翌令和4年には「和歌祭」も「400年式年大祭」を迎えます。目下、ご関係の皆さまで実行委員会が組織され関係行事の企画や費用の手立てなど成功に向けての準備が進められています。特にこの和歌祭はかつて日本三大祭りと称されており、この機会に「和歌浦の」ということだけでなく「和歌山の」そして「紀州の」祭りに復興していければと強く感じます。
ご承知のように私たちのふるさと和歌山は江戸時代には「徳川御三家」として全国的にも屈指の発展を遂げました。特に和歌山市の人口は全国10位以内に入るほどの規模を誇っておりました。現在は残念ながら各都市の後塵を拝しておりますが、さまざまな機会を捉えて今後の和歌山の発展に向けて積極的に取り組んでいければと思っております。そういう意味で前述のように今、和歌の浦にそして和歌山市にはチャンスが訪れているのだと思います。
昨年、静岡市を訪ねる機会がありました。徳川家康公ゆかりの久能山東照宮があるまちです。JR静岡駅に降り立つと正面の民間ビルに掲示された大きな「三つ葉葵」が目に飛び込んできます。誰が見てもここが徳川家と縁が深いまちであるということがわかります。また駅の構内には徳川家康公にちなんださまざまな土産物が所狭しと並んでいます。観光客はもとより、それ以外の目的でこの地を訪れた人をも自然と「お土産を買っていこう」という気持ちにさせます。また「食」についてもお茶はもちろんのことマグロや静岡おでんなど食欲をそそるメニューが目を引きます。私は和歌山にもこのような空気、空間が必要だと思います。和歌の浦に少しずつ観光客が訪れる状況が進んでいるのは申し上げた通りですが「これを買っていこう」というお土産、「これを食べてみたい」という名物が果たして静岡のように提案できているどうか。謙虚に見つめ直してみるべきだと思います。
日本遺産の認定の最も重要な意義はそれを機に地域が発展すること、地域の経済が活性化することにあると聞いています。その点から考えても和歌祭400年に向けて和歌の浦でそして和歌山で大きな観光の花を咲かせていかなければなりません。ご賛同の皆さんのご奮起をお願いいたします。私も微力ではありますがしっかりがんばります。

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