「国家像」を示すことが急務 人口激減時代をどう進むか

門 博文

コロナ禍の中、不安な毎日が続いています。また、例年にも増して暑さの厳しい日が続き熱中症の被害も連日、報告されており心配事が重なっております。このダブルパンチの中政治が果たすべき役割、責任は大変、大きなものになっていると自覚しています。新型コロナウイルスについてはPCR検査体制の充実やワクチン、特効薬の開発など既存の技術や体制において早急に対応していくことはもちろんのことですが同時に、新しい価値観を見つけ出し、新しい対応や方法も模索していかなればなりません。皆さまと「思い」をひとつにして取り組んでまいりたいと思います。
さて、先般、日本の人口動態調査の結果が発表され昨年1年間で約50万人の人口減少が報告されました。内訳をみてみますと増加、すなわち出生者数は約87万人でした。一方、減少、死亡者数は138万人でその差し引きの数が先ほどの減少者数ということになります。ちなみに一日当たりに換算しますと一日、約2400人生まれて、約3800人亡くなったことになります。毎日の生活を送っていると意識することはほとんどありませんがこの数字が日本の一日当たりの人口動態です。話を戻しますが昨年の人口減少は50万人です。和歌山県の人口を参考に考えてみますと2年で和歌山県一つ分、日本の人口が減少しています。これに伴って1年間に和歌山県内で行われている経済活動も日本から消失していることになります。資料を参考に見てみますとわが県の年間総生産額は3兆円超となっていますのでその経済的消失は大変大きいものとなります。恐ろしいことだと思います。このようにかつて経験したことのない人口激減時代を今、われわれは迎えておりもう少しペースを上げながらこれからもしばらくはこの状態が続くことになります。
今、世界はコロナの時代をどう過ごしていくかという非常に不透明な命題をたたきつけられています。それに加えてわが国は前述しましたように人口激減時代をどう過ごしていくかという課題もあります。そういう中で私が今、強く懸念し始めていることはこの国に果たして「国家像」というものがあるのかという点です。短期的なものではなく50年、100年先を見通して将来、この国をこういう形の国に、社会にしていこうという国家戦略です。正直申し上げて(それは政治家の責任であるということを自覚しつつ)今、この国に為政者も国民も全員が共有できているそのようなものは定まっていないと思います、残念ながら。大変、不安であり難儀なことです。そういう指針がないのと同様にそういうものを積み上げて示しそれに向かって行動を監理していく「司」、機能、国家機関もないように思います。会社でいえば「経営企画室」のようなものでしょうか。人口減少のような国内の課題を整理して方針を明確にしていくこと。例えば日本における外国人の就労や滞在、また観光に訪れる外国人への対応をどうしていくかも大切な課題です。先ほどの人口動態調査によりますとすでに300万人弱の外国人が日本にお住まいです。今はコロナの影響で途絶えていますがインバウンドも年間4000万人が訪れるようになった国の外国人対応政策です。このような課題においては例えば「人口減少担当相」や「外国人政策庁」などを設置して「国家像」を作り出していくべきではないかと思います。
かつて明治には「富国強兵」「殖産興業」高度成長期には「所得倍増」や「列島改造」など全員が賛同していたかどうかはわかりませんが少なくとも国民が共通して認識していた国家戦略がありました。多様性の時代ですのでワンフレーズで表現することは難しいと思いますがこの多難の時代にこそこの日本の進むべき道、「国家像」を示すことが必要、急務であると思います。そして世界の中で日本がどう存在していくのかも同時に重要な点です。ぜひ、ご意見をお聞かせください。

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